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東海道歩き旅 (1-1) 1月18日(月) [東海道歩き(昔の記録)]


未公開ネタです。

街道歩き東海道編を開始します。


今まで、江戸幕府が制定した街道
歩きました

東海道・・・  2009年7月14日~2012年5月17日

日光道中・・ 2013年10月21日~2014年4月16日
中山道・・・  2014年5月19日~2017年12月13日
甲州道中・・   2018年4月2日~2018年12月20日
(合計距離 約1410km、歩数・ 約310万歩)
奥州道中(190km)は残念ながら、
病気のため未完



日光道中・中山道・甲州道中は当ブログに掲載しました。
東海道歩きを始めた時はブログを始めてなかったので、初めて見ていただくことになります。

2009年の事なので、
多少記憶があいまいな箇所があります。

写真は当時の撮影なので現在と違う光景のところもあります。

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大船発 5:09発上り電車で東京駅 5:52着

日本橋まで歩きました。

「お江戸日本橋七つ立ち~ こちゃ高輪夜明けて提灯消す」

(七つ時とは朝4時頃で、高輪あたりで夜明けを迎えたらしい)

昔の日本橋は、築地市場が出来る前に魚河岸だった所で、天秤棒で魚を持った人の姿が見えます。

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現在の日本橋です。

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ここは変わりません。

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日本橋は日本の国道の元点です。

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こういう柱も立っています。

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足元には主要都市までの距離が記されています。

この日の予定は横浜まで歩くことです。

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こちらは関係ない方向です。

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三越の辺りも朝早いので静かです。

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6:10に日本橋をスタートし、銀座通りに入ります。

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通り沿いにこんなものが立っていました。

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「慶長十七年(1612年)徳川幕府はこの地に銀貨幣鋳造
の銀座役所を設置す。当時町名を新両替町と称せしも
通称を銀座町と呼称せられ明治二年遂に銀座を町名と
する事に公示さる」

銀座四丁目を過ぎます。

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銀座を抜けて新橋駅の横を通り国道15号線に入ります。

浜松町付近はかなり車が多くなってきっました。

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東海道というと国道1号線と思う人も多いですが、横浜までは国道15号線に沿っています。

旧東海道の地図は、東京国道事務所のホームページに掲載されています。

都内MAP.jpg

道は札ノ辻の交差点に近づきます。

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JR品川駅を過ぎると、15号線を離れ旧道に入ります。

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京浜急行の北品川駅付近はまだ静かです。

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JR品川駅の南にあるのに「北品川」とは??

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品川宿はその先(川崎側)になるのでこういう地名が付いたのでしょう。

通りにはこんな看板、地図が立っています。

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英文の看板もありました。

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広重の品川宿の絵です。

ちょうど夜明けごろの絵でしょう。

こんな漁村のようなところだったのでしょう。

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こんな通りを進んでいきます。

北品川から約1時間、このような道が続きました。

9時頃、公園のベンチで小休止。

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鈴ヶ森刑場跡に着きました。

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江戸時代には数万人処刑されたそうです。

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次回に続きます。

先週は少し暖かい日がありましたが、寒さが戻りました。

暖かい日の散歩が中々できません。

新鮮なネタがありましたら適宜挟みます。



本日もご訪問ありがとうございました。

Canon IXY


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東海道歩き旅 (1-2) 1月21日(木) [東海道歩き(昔の記録)]

前記事の続きです。

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順序が逆になりましたが、東海道を歩いてみようと思ったきっかけは次の通りです。

高校時代歴史の授業は大嫌いで、まったく興味がありませんでした。
通勤電車の中で、山岡荘八の「徳川家康」(
文庫本で約50冊)を読んでいました。
段々、この時代に対する興味が沸いてきました。

また箱根、戸塚、平塚、大磯などの宿場町は身近な所にありました。
いつか東海道を歩いてみたいと思うようになりました。

 当時、「街道歩き」が静かなブームになり、NHKなどで紹介したりしていました。
(江戸幕府は1603年開府で幕府開府400年の記念行事もよくありました)
その時は時間的余裕がないので、定年後の楽しみとして予定をしていました
情報集めは少しずつ行っていた)
2007年末に定年になり、その後週3日ほどの仕事をしていました。
2009年7月から完全に自由な身になり、いよいよ実行することにしました。

 趣味の山歩きで、足に不安はありませんでした。
とりあえず日本橋から横浜まで歩こうと第一歩を踏み出しました。



前記事では、江戸日本橋を出発して、鈴ヶ森刑場跡まで掲載しました。

鈴ヶ森刑場跡は、現在の大井競馬場の近くにあります。

鈴ヶ森刑場跡を通り過ぎて、しばらく進むと、国道15号線に合流します。

急に交通量が多くなり、排気ガスも増えます。

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すぐに旧道に分かれます。

大森海岸の近くなので、海苔問屋さんが増えます。

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約1km程度細い道を進むと再び15号線に合流します。

工事をしているのは京浜急行の蒲田駅です。
(現在はこの工事は終わっています)

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以前は、国道15号線に羽田空港に行く空港線の踏切がありました。

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今は工事も完了し、高架線路の上を電車が走っており。この踏切もなくなりました。

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この後、六郷橋まで15号線をひたすら歩き、川崎市に入りました。

六郷橋を渡ると市街地に入りますが何処かわかりません。

こんな案内があると便利です。

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神奈川県に入ったので地図が変わります。

この地図は横浜国道事務所が発行していましたが、現在はもうなくなり、PDFファイルで公開されています。

川崎から、箱根峠の静岡県との境まで掲載されています。

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広げるとこんな図です。

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川崎の本陣があった辺りです。

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広重の浮世絵では六郷川の渡しが描かれています。

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こんな博物館がありました。

個人の浮世絵蒐集家が作った博物館ですが、現在は閉鎖されています。

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川崎市内で昼食を摂り、鶴見方面に向かいます。

12時半ごろ、鶴見橋を渡ります。

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鶴見橋を渡ると、京浜急行の鶴見駅の近くを通ります。

こんな案内がありました。

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ここでこの日は終了しようと思いましたが、まだ元気があるのでもう少し進むことにしました。

しばらく進むと生麦の魚屋さんの通りに入りました。

朝は混みあうらしいです。(当時は・・)

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しばらく進んで15号線に合流しますが、合流地点に生麦事件の跡の石碑がありました。

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少し進むとこんな看板が、

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中に入ると、緑もあるし休憩にはちょうどいいです。

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正面はキリンビールの横浜工場です。

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午後2時過ぎ、のどが渇いたので吸い込まれてしまいました。

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生ビール(市販のビールではなく、ここで醸造したビールです)

この日は朝6時から歩いています。

美味しいビールとサバのスモークで生き返りました。

ここまで来ると、あと少しです。

JRの東神奈川駅付近です。

神奈川宿の本陣はこの通りの右側辺りにあったようです。

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本日のゴール、京浜急行神奈川駅に着きました(翌日撮った写真です)

ここからJR横浜駅まで5分ぐらいです。

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この日の記録
総時間   ・・9時間2分
歩行時間・・ 7時間28分
歩行距離   ・・約30㎞
歩数・・  49,285歩



この日のメモ

東海道歩きの第一日目でどこまで歩くかは別にしてとりあえずスタートした

                今まで山のハイキングは何度も行っているが、舗装道路を何時間も歩くのははじめてだ。

     山と同様、靴は大切だ

                 それなりのウォーキングシューズを履いていないと疲れる

                山歩きと違い荷物はほとんど不要

                今後はわからないが、疲れたらいつでも中止できる

                ・座って休憩する場所が少ない

       コースから外れればあるだろうが、ベンチなどはほとんどない

                トイレが少ない。山もトイレはないがそれなりに何とかなる

                 コンビニか飲食店ですることになる

                ・騒音と排気ガスは我慢するしかないが、現在では裏道みたいなところな比較的静かな道だ

                 の本陣跡などの、当時を思い起こさせる案内板があったりして楽しめる

                 暑い一日だったと思っていたら、関東地方は梅雨明け宣言がされた日だった

                 30Kmも歩くとさすがに疲れた

東海道はまだまだ先があります。

東海道全図.jpg



本日もご訪問ありがとうございました。

昨日は大寒でした。

こんな日に限って、通院日、朝早く出て、夕方までかかりました。


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東海道歩き旅  (2) 1月24日(日) [東海道歩き(昔の記録)]

2009年の記録です。

東海道歩き2日目です。

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7月14日に日本橋から横浜まで歩きました。

7月14日はかなり歩いたので、一日休んで、16日に2日目のスタートをしました。

大船から、初日と同じ始発電車に乗り、横浜駅で下車。

今度は横浜からなのですぐに到着し、京浜急行の神奈川駅から歩きだしました。(5:45)

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横浜駅周辺をご存じの方は知っていると思いますが、横浜駅の北側は高台になっています。

坂を上ります。

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この通りは坂本龍馬の妻おりょうが仲居として働いていた「田中家」があるところです。

「田中家」は現在もある高級料亭です。

広重の浮世絵にも描かれています。
(上から3軒目のさくらやが前身です)

この絵で言うと、現在の横浜駅、周辺は全て海だったようです。

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横浜が開港されると、外国人の殺傷事件が多発し、横浜の各所に番所が設けられました。

その跡地の碑が残っています。

ここから、千葉の袖ケ浦まで見えたのですね。

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高台を下って、浅間下の交差点に来ました。

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私が持っている地図はこれです。(横浜国道事務所でもらったもの)

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ちょうど交差点に立っていますが、勘違いで、右の広い道に進んでしまいました。

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正しい道は、左の茶色のビルの間の細い通りです。

10分ぐらい歩いて気づき、ここまで戻りました。

正しい道を歩き出すと、路面にこんなものが埋めてあります。

間違いなさそうです。

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しばらく歩くとにぎやかな松原商店街を横切ります。

朝早かったので、人が少なくて、後日撮影したものです。

賑わう商店街の様です。

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進んでいくと、天王町駅に近づきます。

手前のマクドナルドで、朝食を摂りました。

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そのまま同じ通りを進みます。

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道は広い通りに出ます

歩道にこんな絵が埋められています。

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このような絵はのどかですが、今は車だらけです。

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広重の浮世絵、保土ヶ谷宿です。

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この後、JRの踏切を渡り、国道1号線を歩きました。

こんな建物もありますが、「跡」ばかりだし、朝早いので空いていません。

この後、箱根駅伝で有名な権太坂(ごんたざか)に入っていきます。

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旧街道歩きのため、箱根駅伝のコースとは違います。

こんな急な坂を上っていきます。

横の家は水平に立っていますので、坂道の傾斜がわかります。

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坂を上って、横浜横須賀道路の上通過します。

この辺りは斗夢さんの散歩コースでしょうか???

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ほぼ平らな所になりました。

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進んでいくと、武蔵の国と相模の国の境に来ました。

境木地蔵というお地蔵さまがあります。

モニュメントが立っています。

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この柱が国境の様です。

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いよいよ相模の国に入ります。

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しばらく住宅街を進みます。

品濃の一里塚の跡の案内です。

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随分古い道標ですが、昔のものなら「旧」は無いでしょう。

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突然、果樹園の畑に出ました。

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また道がわからなくなりましたが、見つけました。

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階段を降りると大きな歩道橋があり、東戸塚のタワーマンション群に入っていきます。

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そのまま裏道を通り、国道1号線に出て、戸塚駅方面に向かいます。

戸塚駅横の踏切ですが、現在、この踏切はありません。

立体交差に変わり、立派な駅舎も出来ています。

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10:00頃この日の予定は終了です。

この日の記録 総時間4時間12分
歩行時間 3時間26分
歩行距離 約13km
歩数 約2万歩



昔の人は一日十里(約40Km)ほど歩いたらしい。(草鞋で)

江戸を出て、戸塚宿が一泊目だったようです。

この日は2回も道に迷ってしまった。

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本日もご訪問ありがとうございました。

昨日は久しぶりに雨が降りました。

今日は雪になるとか・・・?

昨日の天気予報では、大騒ぎしていましたが24日朝4時現在、横浜では小雨です。

東京、横浜などでは5Cmでも大雪ですが、幸い大丈夫なようです。

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東海道歩き旅 (3) 1月27日(水) [東海道歩き(昔の記録)]

2009年7月の記録です。

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7月14日に日本橋をスタートをし、一日休んで、16日に横浜(神奈川宿)から戸塚まで歩きました。

この時は定年退職後の暇な時期ですので気の向くまま旅に出ます。

この日(7月19日)は戸塚宿から平塚宿まで歩く予定でした。

戸塚駅から出発ですが、私が住んでいるところの最寄り駅は隣の大船駅です。

この日も上りの始発電車に乗り一駅です。

戸塚駅で電車を降り、前回の終了地点からスタートです。

今はない踏切を渡り、国道1号線を歩きます。

すぐに澤部本陣跡の碑が立っていました。

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戸塚宿には本陣が⒉軒(澤部本陣、内田本陣)あったらしいです。

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戸塚宿は、江戸を出発した旅人が最初に泊る宿場だたそうです。(江戸から10里)

旅籠の前に、旅人が群がっています。

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国道1号線を進んでいくけど、道案内はほとんどありません。

持参した地図に沿って進むと、上り坂になりました。

坂を上り切り、現在の横浜新道と合流しました。

箱根駅伝の戸塚中継所のすぐ近くです。

ここから3区で、タスキを受け継いだ選手たちは勢いよく駆けていく場所です。

普段は交通量の多い道ですが、日曜日であったこと、早朝6時頃だったので車が少ない。

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道は原宿交差点に差し掛かります。

近くに一里塚跡の案内板が草むらの中にありました。
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原宿交差点(2009年当時は交通渋滞の名所でした。

今では立体交差になっています。

原宿交差点を過ぎると、国道1号線は左に分かれ、遊行寺の坂を下っていきます。

坂を下ったところに、遊行寺があります。

遊行寺は一遍上人が時宗の総本山です。

正式名称は、藤澤山 無量光院 清浄光寺と言います。
(とうたくさん むりょうこういん しょうじょうこうじ)

大きなお寺です。

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立派な惣門です。

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境内では骨董市が開かれますが、朝早いので準備中でした。

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広重の浮世絵は、江の島が描かれています。

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藤沢橋を渡り、辻堂方面に向かいます。

辻堂付近で国道1号線に合流します。

辻堂を過ぎた辺りから、箱根の湯本まで、ほぼ国道1号線沿いを歩きます。

ここは歩道があって歩きやすい道でした。

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途中にあったマクドナルドで、朝食を摂りました。

朝食後、外に出たら雨が降り出していました。

傘を持っていなかったし急ぐ旅でもない。

家も近いし、この日は平塚まで行くのは止めて、茅ヶ崎駅で終了しました。

この日、ここまで行きました。

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この日の記録はわずかです。

総時間      4時間
歩行時間  3時間30分
歩行距離約   16Km
歩数約  23,000歩

茅ヶ崎駅の改札口に、「東海道53次を歩く茅ヶ崎~大磯」と書いた看板を持った人がいました。

参加者はおばさんばかりでした。



本日もご訪問ありがとうございました。

今日、明日は病院です。

昨年から始めた治療の効果検証のためのCT検査です。

結果は来週です。

ネタ不足が続き、次回も東海道です。



数回前の記事で10kgも体重が減ったと記載していました。

幸い、皆さんの助言もあり、わずかですが、1kgほど戻りました。

ありがとうございます。

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東海道歩き旅 (4) 1月30日(土) [東海道歩き(昔の記録)]

このところ天気がすっきりしません。

北の方、日本海側では大雪の様です。



2009年7月の東海道歩きの記録です。

前回の記事で、戸塚から、茅ヶ崎駅まで歩きました。

この日は茅ヶ崎駅からスタートです。

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茅ヶ崎駅に着いたのは、10時過ぎ、小雨が降っていました。

右側に「大きな鳥居が見えました。

<ここから写真のサイズが変わります>

約1km位北にある、鶴嶺八幡宮の鳥居です。
<鶴岡八幡宮ではありません>

この辺りでは寒川神社が有名ですが、ここはお参りしたことはありません。

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11時半ごろ馬入川(相模川の別名)を渡ります。

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平塚宿に入りますが、商店街を通過するだけです。

平塚駅近くで昼食、店を出るとまた雨が降ってきました。

西組問屋場跡・・問屋とは宿場間の運送を担っていました。

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平塚宿の西の端、花水川の辺りを通過します。

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広重の浮世絵です。

雲があるので、わかりませんが、後ろの山がよく似ています。

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花水川を渡ると、松並木になります。

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こんな祠がありました。

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松並木の道は緩い登坂で、化粧坂と言います。

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案内板が立っていました。

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化粧坂の出口にはこんな道も、東海道線の下をくぐります。

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この後、大磯宿の中心に入ってきますが、交通量の多い道なので写真がありません。

広重の浮世絵ですが、この絵も雨の絵になっています。

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大磯の市街地を抜けると、普通の道になります。

この写真の左の森は吉田 茂の別邸があった所です。

今はどうなっているか知りませんが、火事で焼失しました。

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ここでまた間違い。

上の写真を右に行くのが正しい旧東海道オレンジ色の矢印
(旧道は今では裏道で住民の生活道路です)

左の道は国道1号線です。



下図のオレンジ色の矢印が旧東海道で、青い矢印は国道1号線です。

青い矢印の道を進んでしまいました。

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後ほど旧東海道を歩いてみましたが、路上に声が埋まっていました。

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歩数も、時間も変わりありませんでした。

この日は二宮駅で終了しました。

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この日の総時間4時間40分
歩行時間3時間20分
歩行距離約 15km
歩数21,000歩

2009年7月の東海道歩きの記録でした。

++++++++++++++++++++++++

今週の水曜日と木曜日は続けて通院日でした。

木曜日の病院では、MRIの順番を待っていたら、急患が入り、待たされ、遅くなりました。
(コロナ患者ではありませんでした)

午前中に終わる予定でしたが、午後になってしまい、雨も降り出し、結局タクシーで帰宅。

明日で1月は終わります。

早く暖かくなって欲しいですね。

本日もご訪問ありがとうございました。

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東海道歩き旅 (5) 2月5日(金) [東海道歩き(昔の記録)]

2009年7月の東海道歩きの続きです。

前回は東海道線の二宮駅まで歩きました。

翌日 7月29日、二日連続で歩きます。

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この頃は退職していたので、仕事もないし、時間は充分ありました。

この日は二宮駅から、小田原を通り箱根湯本まで歩く予定です。

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山登りと一緒で、朝は早朝出発です。

大船発5:10発の下り電車に乗り二宮駅には5:40に着きました。

身支度を整えて、5:50頃に出発です。

二宮駅を出ると、国道1号線を西に向かいます。

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昔の松並木の名残が残っています。

大船では小雨が降っていましたが雨は上がり、路面は少し濡れています。

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小さな分かれ道がありました。
(この写真はGooglemapのStreetviewの写真です。

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右に分かれますがこんな標識が立っていました。

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当然旧東海道を進みますが、すぐに国道1号線に合流しました。

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道からは海が見えます。

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道は国府津駅前を通過します。

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このウナギ屋さん、丹沢とか箱根の山のぼりをしたときによく食べました。

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新木橋という大きな交差点を通過します。(7:00頃)

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まだ国道を進んでいきます。

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国道の距離ですが、日本橋より80kmの標柱が立っています。

この後、マクドナルドが開いていたので、朝食休憩です。

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いよいよ酒匂川を渡ります。

この橋を渡ると小田原の市街地に入ります。

雨は上がり青空も見えてきました。

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広重の浮世絵ですがおそらく酒匂川と箱根の山だと思います。

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橋を渡るとこのような案内板がありました。

宿場の江戸方と上方に見張り番(見附)がありました。

これは何処の宿場でも一緒です。

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進んでいくと、「新宿」という標柱がありました。

「新宿」とか「原宿」は何処にでもあります。

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国道から離れて裏道に入ります。

小田原蒲鉾のお店が数軒並んだとおりです。

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再び国道1号線に合流します。

こんな自動販売機がありました。

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国道から離れて、板橋口(上方口)の案内があります。

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国道から少し離れていますので、寂しそうな道を進みます。

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国道に出ると箱根湯本の駅が見えてきました。

大船を出る時は小雨が降っていましたが、天気も回復して、太陽の日差しが出てきました。

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上の写真の左の橋は三枚橋と言います。

箱根駅伝はまっすぐ湯本駅の方に向かいますが、旧道は左の橋を渡ります。

三枚橋から箱根湯本方面の反対側を見ます。

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早朝に出発したので、10時頃に終了しました。

この日の総時間  4時間16分
この日の歩行時間 3時間50分
歩行距離     約16km
歩数    約25,000歩

2009年7月29日の街道歩きの記録でした。

この次はいよいよ箱根の山越えです



昨日、春一番が吹いたとか。

でも夕方には寒くなりました。



また、訳の分からない爺さんが、世界に向けて恥さらしをしましたね。

老害、困ったものです。

本日もご訪問ありがとうございました。

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東海道歩き旅 (6の1) 2月8日(月) [東海道歩き(昔の記録)]

先週末は、暖かい日が続きましたが、今日から寒さが戻ってくるようです。

今週は水曜日に病院の通院日があるので、憂鬱です。


++++++++++++++++++++++

2009年の東海道歩きの続きです。(2009年8月1日)

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7月29日は箱根の麓、箱根湯本から山越えして静岡県の三島まで歩く予定です。

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それまでは、朝早く家を出て、昼過ぎには終了して、家に帰っていました。

箱根越えは山登り仲間の友人が援軍として参加。

千葉、埼玉から来るので、大船発7:00の電車で合流。

小田原駅からバスで、箱根湯本の三枚橋で下車。

ここからは箱根駅伝のコースと違う道を進みます。
下図の吹き出しがない、斜めの道を進みます。

車道になっていますが、実際は半分位山道です。

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始めはうっそうとした石畳の道でした。

箱根湯本から、温泉旅館街の裏手の道から、歩道のない道を約1時間進みます。

9:25、「女転がし坂」を上ります。

馬に乗った女性が急坂のため落馬して死んだ事により名づけられました

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坂道には、いろんな名前がついています。

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この先からやっと山道になりました。

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石畳の道で、苔がついているので、滑りやすいので注意が必要です。

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箱根の山は天下の検・・・昼猶(なお)(くら)き杉の並木

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10時頃畑宿の一里塚(復元)に着きました。

畑宿は、箱根の名産、寄木細工で有名です。

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樫の木坂の案内がありました。

「けわしきこと道中一番の難所なり、おとこかくぞよみける

樫の木の坂をこゆれば、くるしくて、どんぐりほどの涙こぼる」

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こんな急な坂ですが、この階段の上はドライブウェイです。

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11:00頃甘酒茶屋に到着しました。

この写真は、現在の写真で、Googleの写真です。

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ここではやはり甘酒です。

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休憩した後、石畳の坂を下ると、芦ノ湖が見えてきました。

広重の絵です。

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芦ノ湖のほとりのコンビニで、おにぎりで休憩しました。

この後、杉並木を歩きます。

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関所跡通過します。(12:30)

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関所跡歩き、箱根駅伝のゴール付近から、上りかえし、箱根峠に到着しました。

箱根峠から三島までは下り坂ばかりです。

この日の前半はここまでです。

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2009年の東海道歩きの前半です。(2009年8月1日)

次回は後半で三島まで下ります



本日もご訪問ありがとうございました。

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東海道歩き旅 (6の2)   2月11日 [東海道歩き(昔の記録)]


今週からまた寒さが戻りました。

昨日はまた病院で、予約が朝早いので、通勤時間帯を避けて、往きはタクシーで行きました。

相変わらず病院は混雑しています。

2週前の検査結果はあまり思わしくなく、来週また検査の予定が入りました。

009年の東海道歩きの続きです。(2009年8月1日)

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芦ノ湖の近くで休憩し、箱根駅伝のゴール辺りから、を再び上り坂になります。

こんな坂もあります。

小田原からの登りと同様、坂には名前がついています。

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急な坂を上り、着いたのが箱根峠です

(Googleのストリートビュウの写真です)

神奈川県と静岡県の県境です。

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川崎で神奈川県に入った時から、この地図を持って歩きました。

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こんな地図でした。

神奈川国道事務所が作った地図で、縮尺のスケールも印刷されていました。

距離感がつかめるので便利でしたが、細部のところはよくわかりませんでした。

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ここから静岡県なので地図が変わります。

こんな地図です。

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地域ごとに作成されて、約20冊(鈴鹿峠まで)あります。

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箱根から三島へ降りる地図はこちらです。

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神奈川県の地図とは違い、距離感は分からないけれども、細かな曲道などが記載されてます。

これならば道を間違うことはなさそうです。

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箱根峠を出発して、すぐ竹のトンネルのような道になりました。

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かぶと石の案内があります。

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道は、時々国道1号線を通ったりしますが、山道も沢山あります。

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道なき道らしいところもあります。

この道を歩く人は少ないのでしょう。

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時折こんな案内もあります。

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民家の庭のようなところに出てきました。

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山道は終わり、復元された松並木、石畳の道に出ました。

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新町橋と言う橋を渡り、三島の市街地に入っていきます。

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川には鴨が元気に泳いでいました。

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16:30頃、三島神社に到着しました。

三島は水のきれいな所です。

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駅に着いたら土砂降りの雨になりましたが、ぎりぎりセーフでした。

電車が来るまで、ビールで「お疲れ様」

熱海まではJR東海、熱海でJR東日本の電車に乗り換えです。

熱海駅で再びビールを調達、東海道線でまた「お疲れ様」

大船駅で、援軍二人と別れました。



この日の記録 

この日の総時間  8時間06分
この日の歩行時間 7時間09分
歩行距離     約 26km
    歩数          約43,000歩

この日のメモより

石畳は、ウォーキングシューズより登山靴の方が良いかもしれない

真夏だったけど、曇り空だったので助かった。

三島でウナギを食べたかったけれど、時間切れ・・・

本日もご訪問ありがとうございました。

2009年の東海道歩きでした。(2009年8月1日)

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三島はこんなところです。

これから先は家からどんどん遠くなります。

今後は丹那トンネルより西になります。



この記事は2009年に東海道を歩いた記録です。

今回の記事は、今年になって再作成したものです。

現在の状況とは異なるところは多々ありますのでご注意ください。

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東海道歩き旅 (7) 2月13日(土) [東海道歩き(昔の記録)]

オリンピックの人選はごたごたですね。

80歳を超えた爺さんが、涙流して決まったかに見えましたが降り出しに戻りましたね。



009年の東海道歩きの続きです。(2009年8月15日)

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東の難所、箱根を超えて、三島まで歩きました。(2009年8月1日)

段々遠くなるので、青春18きっぷを購入しました。

家を出るのはいつも早朝です。

午前8時頃三島駅に到着しました。

三島大社に向かいます。

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広重の浮世絵も早朝出発の旅人です。

鳥居は三島大社のの鳥居です。

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三島大社にお参りです。

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この日は祭りの日でした。

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三島大社の前の通りは旧東海道です。

お祭りの露店の準備中でした。

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広小路駅前の「時の鐘」

時の鐘は川越にもありますね。

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街並みから外れます。

東海道を歩いていると、秋葉山の常夜灯によく遭遇します。

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古い麹屋さんがありました。

時代を感じます。

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一里塚が残っていました。

江戸から29里の一里塚です。

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玉井寺の一里塚です。

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他の場所ですが、対面石という石が残っていました。

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昔、源頼朝と義経が会ったという話です。

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沼津城の城郭の一部にこんなところがありました。

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ここは沼津宿の中心だったようです。

夕方の沼津宿の絵です。

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午前10時近くなり、空腹を感じるようになりました。

沼津の市街地にはコンビニがありましたが、市街地をはずれると、急にコンビニがなくなります。

ローカルなコンビニがあったので、おにぎりとコロッケを購入し、店内椅子で食べました。

お店の方が、みそ汁をサービスしてくれました。

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ちょっと腹を満たして、歩きだしたら、コンビニ、西友の店がありました。

うまくいかないものです。

吉原まで、まっすぐなこんな道が延々と続きます。

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原宿の絵です。(原という地名です)

むかしはこの辺りで雪の富士が見えたでしょうか???

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吉原の駅前で、この日は止めようかと思いましたがもう少し頑張ります。

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吉原の駅を過ぎると、今まで東西の道でしたが、北の方に曲がっていきます。

この絵では左側に富士山が見えます。

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14時半ごろ、吉原本町(岳南鉄道)に着きました。

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この辺りが吉原宿の中心だった??

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この後、JR富士駅方面に向かいます。

この辺りは、次の蒲原宿との間が長いので、茶屋などがあったそうです。

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この日歩いたのは赤い三角の場所です。

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ここまで歩きました。

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この日は

この日の総時間  7時間39分
この日の歩行時間 7時間18分
歩行距離     約 30km
    歩数          約45,000歩

この日のメモ。

暑い一日でした。

飲み物の自販機はあるが、コンビニが見当たらない道中でした。

2009年の東海道歩きでした。(2009年8月1日)

++++++++++++++++++++++

ベランダのチューリップがこんなに大きくなりました。

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本日もご訪問ありがとうございました。


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東海道歩き旅 (8) 2月20日(土) [東海道歩き(昔の記録)]

昨日はよい天気でしたが、風は冷たく、家でじっとしているとまだ寒さを感じる日でした。

午前11時10分からCTの予約があったので病院に出かけました。

早く着いたので、早く終わり、11時過ぎには病院を出ることが出来ました。

病院で予定より早く終わることは滅多にありません。

助かりました。



今日から暖かくなるようですが、最近の天気予報ははずれが多いです。




2月13日の続きです。

約10年前、思い立って東海道歩きを始めました。

10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
この記事は初めて披露します。


2009年8月18日です。

街道の景色も、周囲の様子も今とは違います。

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2月13日の記事では、吉原宿(富士駅)まで来ました。

今回は吉原宿の近く、JR富士駅からスタートします。

何時も乗っている大船発6:05の静岡行きに乗ります。

電車の本数は沢山あるけれど、この列車は特急用の車両で静岡まで乗り換えなしで行けます。

富士駅に7:58着、さっそく出発します。
(この日は家内と一緒でした)

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約1km位歩くと富士川に出ます。

昔の渡船場跡の石碑が立っています。

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現在は立派な橋を渡ります。

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穏やかな流れでした。

赤い橋の左側には、東名高速の富士川サービスエリアがあります。

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これぐらい穏やかならば、渡しも楽だったでしょう。

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旧東海道はこの図の中央下あたりで、ここを横切っていきます。

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この辺りは「岩淵」と言います。

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岩淵の一里塚に着きました。

こんな格好で歩きました。

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旧街道と言っても高速道路の上を横切ります。

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この辺りの名物で、「栗の粉餅」というお菓子があります。


ちょうど店の前を通りかかりました。

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店のシャッターが半分開いていたので中の人に聞くと今日は休みだけどお餅はあるとか・・

一箱買ってお土産にしました。

道を進みます。

道は緩やかな坂を下り、蒲原宿に近づいてきました。

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広重の絵にこんな絵がありますが、今の気候からは考えられません。

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やがて道の埋め込みにこんな絵が見られるようになりました。

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由比に近づくと、桜エビの店が増えてきます。

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由比の町並みです。

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広重美術館があったので、見学しました。

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しばらく見学して、由比宿本陣跡に着きました。

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立派な門です。

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由比駅に向かいます。

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由比駅に着きました。

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東海道歩きはここまでにして、電車に乗って三島に向かいます。

青春18切符を持っているので、自由に乗り降りできます。

駅近くの楽寿園を覗いてみたけど、水が枯れていて、見るところがありません。

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路地裏のような水路を通ります。

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水は綺麗です。

クロアゲハがいました。

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三島で下りた重要な目的、桜屋の「うなぎ」を食べることでした。

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ウナギで満腹になり、大船駅に着いたのは、19:28頃でした。

(家内孝行も出来ました)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

帰宅後、栗の粉餅をさっそくいただきます。

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実際には、このお菓子は、昔のお菓子を復刻したものだそうです。

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数年後、近くを通ったのでもう一度買ったことがあります。

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本日もご訪問ありがとうございました。

2009年8月18日の東海道歩きの記録でした。

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東海道歩き旅 (9の1) 2月23日(火) [東海道歩き(昔の記録)]

一昨日から昼間は暖かくなりました。

近所の公園でも子供たちはTシャツ一枚で遊んでいる子供もいました。

今日も暖かな晴天の予報ですが、週末はまた寒くなるそうです。

10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。

この記事は初めて披露します。

今日は天皇誕生日、4月29日→12月23日→2月23日、まだピンと来ません。

約10年前の東海道歩きの記録が続きます。

前回の記事で、静岡県の由比まで来ました。

ここから峠越えが始まります。

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大船からいつもの静岡行きの電車に乗り、由比駅に着いたのは8:16でした。

この日は防災の日、地元の消防団の人が訓練準備をしていました。

駅を出発したのは8:30頃でした。

駅から、旧街道に行くのに、立ち並ぶ家の裏を通っていきます。

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やがて旧街道に出ると旧家が並んでいます。

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小池邸と言う家で名主の館の看板が出ています。

一部になまこ壁、格子の窓、古い家でしょうね。

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実際にはこの建物は明治時代に建てられたものだそうです。

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こちらは別の建物で、「東海道明かりの資料館」の看板がかかっています。

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徐々に上り坂になっていきます。

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山の急斜面に張り付くような神社。(中峰神社)

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ところどころに小さな橋が架かっています。

大雨の時は大変でしょうね。

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こんなところですから買い物も不便でしょう。

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道はどんどん上っていきます。

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箱根ほどではないですが、二つ目の難所です。

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薩埵峠(さったとうげ)の案内がありました。

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この日は9月1日、緑色のミカンが沢山生っていました。

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こんな地図があります。

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すぐ下は日本の大動脈です。

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東海道線、国道1号線、東名高速道路などが並んで通っています。

(東名高速を通った人であればわかると思いますが、由比PAの上です)

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昔はこの海岸もなく、山越えしか方法がなかったのでしょう。

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横にはミカンが沢山。

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峠越えの時に鞍が壊れて、馬の蹄の跡が残ったという・・・

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見通しの良い場所に来ました。

残念ながらこの時期には富士山は見えません。

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天気の良い時はこのように見えるのでしょう。

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広重の絵です。

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ここまでは車で来ることが出来ます。

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字は見えません。

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薩埵峠の山の神跡。

昔はここに祠でもあったでしょうか?

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ここからは下るだけですが、歩くだけになります。

次に続きます。

本日もご訪問ありがとうございました。


2009年8月1日の東海道歩きの記録でした。



確定申告の作業は終わりました。

一応、還付がありそうです。

今年から医療費の集計表もオンラインで送れるようになりました。

何処も行かずに済みました。

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東海道歩き旅 (9の2) 2月26日(金) [東海道歩き(昔の記録)]

21日(日)頃から暖かい日が続きました。

徐々に寒い日が多くなり、昨日は逆戻りで冷たい風が吹き、寒い一日となりました。

寒いといっても、外は暖かそうな陽が当たっていました。

フリージアのつぼみも数が増えてきました。

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正月前に植えた葉ボタンもこんな姿になりました。

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何よりも夜明けが早くなりました。(25日、朝6時頃です)

春はそこまで来ているのに足踏みしています。

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今日は、全国的に天気は悪く、この中を病院に行かなければなりません。



前回記事の続きです。

10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。

この記事は初めて披露します


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展望台で、しばらくこの景色をながめます。

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こんな看板も立っています。

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ここからハイキングコースになります。

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もう1か所展望台がありました。

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ここからもこの光景が見えます。

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下りの階段をどんどん下りていきます。

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そこらにある公園の景色と変わりません。

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誰も来ないので静かな山道でした。

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かなり下って、海が見えるようになりました。

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急に道が草で覆われたところになりました。

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ここを抜けると、墓地に出てきました(写真はありません)

その後、狭い路地を抜けて、国道1号線に出ました。

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しばらく国道1号を進みます。

車は少なく静かな道になりました。

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身延道の分岐です。

ここから身延山の久遠寺までどれくらいかかるでしょう?

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興津宿の始まりです。

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広重の絵です。

由比宿とは違って、平坦な道が続きます。

川を渡る力士の絵が描かれています。

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清見寺の前を通ります。

徳川家康(松平竹千代)の幼少のころ今川家に預けられ、このお寺で修業をした所です。

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徐々に清水市(現在は静岡市清水区)に入っていきます。

古い建物も残っています。

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この辺りは江尻という宿場町でした。
(実は江尻という宿場名はこの時まで知りませんでした)

広重の絵です。

後ろの山は伊豆半島の山、中ほどの島のように見えるところは三保の松原だと思います。

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「食いね~食いね~、寿司食いね~」の清水次郎長の生まれたところです。

駅の近くにシラスの釜揚げの幟を立てた店がいくつか見えました。

店で聞いてみると、お昼に上がるから、販売は14時以降になるとのこと。

とりあえずここはパスして進みます。

ここらあたりが中心地だったと思われますが、小綺麗な商店街でした。

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追分という地名がありました。

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この橋の向かいには「追分羊羹」のお店がありました。

横に駐車場があり、観光バスが2台ほど止まっていました。

ツアー名は「東海道53次巡り江尻、興津、由比」となっていました。

私は羊羹は買いませんでした。

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しばらく単調な道が続き、大きな鳥居が見えてきました。

草薙神社のの鳥居です。

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ここから草薙駅はすぐです。

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この日はここで終了です。(14:10)

この日の総時間  5時間38分
この日の歩行時間 4時間33分
歩行距離     約16km
歩数    約26,000歩

この後、草薙から上り電車に乗車、清水駅で下車。

次の電車が来るまで、駅からすぐ近くのシラス屋さんで、釜揚げシラスを購入。

500円でたっぷり入っていました。

江の島辺りではこの半分ぐらいしか入っていません。

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2009年8月1日の東海道歩きの記録でしたた。

本日もご訪問ありがとうございました。



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東海道歩き旅 (10) 3月1日(月) [東海道歩き(昔の記録)]

今日から3月です。

我が家は息子3人だったので、ひな祭りには、縁がありませんでした。

但し、三男のところに、孫娘が二人いるので、いつも何かを送って楽しんでいます。

昨日はよい天気でしたが、天気予報で言うほど暖かくはありませんでした。

暑さ寒さも彼岸までというのが当たっているのかもしれません。

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中々暖かい日の散歩の記事になりません。

今日も又10年前の東海道歩きの記事になります。

内容は2009年の記事になります。

現在は違うところがあると思います。


10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。

東海道歩きの記事は初めて披露します


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本日はちょっと美味しい記事になります。

前回は薩埵峠を通って草薙駅まで歩きました。

いつもの通り大船発6:02の各駅停車静岡行きに乗ります。

この日は「街道名物」目当てに、家内も同行です。

この電車の良い所は、静岡まで乗り換えなしで行けることです。

各駅停車ですが、回送を兼ねているのか、特急用の車両でゆったりと快適に行けます。

8:35草薙駅に着きました。

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準備をして8:30頃出発します。

駅横の貨物駅にはこんな石碑がありました。

貨物駅を作る時、旧東海道はなくなってしまったようです。

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後ろにコンテナ車が見えます。

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貨物ターミナルの下をくぐって行きます。

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道幅は狭いのに車は容赦なく走り抜けます。

現在の地図で見ると、この貨物駅はありません。

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通り抜けると、古庄というところでした。

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広い通り(恐らく国道一号線に出ました。

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朝のラッシュ時なので渋滞しています。

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市街地に近づいて歩道にはこんな絵が埋め込まれています。

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こんな裏道みたいなところもあります。

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こんな絵もありました。

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静岡は徳川家康が住んでいた駿府城があります。

こんな看板がありましたが、時間の都合で寄り道はしませんでした。

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洒落た商店街に入っていきました。

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この辺りが府中宿の中心だったと思われます。

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札之辻という地名はあちこちにありますね。

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静岡名産「わさび漬け」の店が数件ありました。
(ワサビの産地は伊豆の方では???)

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突然、赤いのれんの店の前に来ました。

安倍川餅の元祖「石部屋」です。

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これは食べていかないと・・

左のお盆の上は緑茶とわさび醤油です。(もちろん生わさび)

右のお盆の上には、きな粉とあんこを絡めたお餅、白いのはわさび醤油を付けて食べます。

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その当時、各600円もしました!!!

ここの店のおっさんの接客は?????

安倍川餅で休憩したのち、すぐ近くの安倍川を渡ります。

この店は今でもあるようです(Googleマップより)


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安倍川の鉄橋を渡ります。

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広重の府中宿の絵です。

安倍川の渡しの絵です。

駿府の政治の中心だったので府中と名前が付いたとか・・

東京にも府中があるし、広島県にもありますが・・

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安倍川の橋を渡ってしばらく進みます。

進んでいくと鞠子宿(丸子宿)に入ります。

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屋号の着いた家も見られます。

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いよいよ今日の二つ目の目的地に到着しました。

とろろ汁の丁子屋です。

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広重の絵にも描かれています。

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今でもありますが実際には奥の方に大広間があって、沢山の人が入れます。
(GoogleMapより)


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ちょうど13時頃だったので昼食によい時間帯でした。

上半分は宿場丼・・・980円
下半分は丸子定食 13,00
右の皿・むかごの揚げ団子・・400円でした

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美味しかったので、その後、数回、家から車で行きました。

昼食後に、JRの安倍川駅まで戻ります。

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駅に着きました。

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この日の総時間 約4時間

歩行時間 3時間40分
歩行距離 15km
歩数 21、000歩

でした。

安倍川駅で・・・

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ここから電車に乗り、大船駅到着は17:40頃でした。

ここまでは基本的には各駅停車の旅で、いつも日帰りでした。

青春18切符の期限が来たので、12月までこの先は一時休止としました。

< 昔の人が歩いたところを行くので、新幹線は使わないと決めていました >

実際に、関西本線の関までは各駅停車で往復しました。

本日もご訪問ありがとうございました。

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東海道歩き旅 (11) 3月4日(木) [東海道歩き(昔の記録)]

気持ちの良い晴天が広がったり、雨が降ったり風が吹いたり、年寄りには堪えます。

昨日は、また病院でした。

今月は、歯医者、眼医者、月末には市大病院の通院があります。

4月には他の病院に2回の通院があります。

中々天気が安定しないのと、病院通いばかりで、普通の記事が出来ません。

また、東海道歩きの記事になります。

一昨日は強風で、昨日の未明はものすごい風でした。

昨日、風はほぼ治まりましたが、夕方からまた冷たい空気になりました。


10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。

東海道歩きの記事は初めて披露します


前回の記事で、9月10日で青春18切符が終了となりました。

今回は2009年12月から開始です。

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前回は半袖Tシャツでしたが、今回からセーター、防寒の装いです。

いつもの通りの電車ですが、家を出る時にはまだ暗い時でした。

静岡行きの電車なので、静岡で乗り換え、9:10に安倍川駅に到着しました。

この日歩くのはこの辺りです。

険しい山越えが待っています。

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安倍川駅から、約30分ほど歩き、丁子屋前まで歩きました。

途中、丸(鞠)子宿の高札場前を通ります。

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丁子屋は開店前でした。

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丁子屋の前を通り過ぎて、旧東海道を進みます。

丸子紅茶、日本産の紅茶が生まれたところです。

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旧道を進んでいくと広い新しい道に出ました。

国道1号線のバイパスで、とても横断できるような道ではありません。

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午前10時過ぎ、車の量は多いです。

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歩道橋の上から見ました。

左奥には道の駅があります。

その奥に宇津の谷集落があります。

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静かな道路に変わりました。

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道は二手に分かれます。

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左の道を進みます。

軒先にシイタケが干してあります。

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宇津の谷の集落を上っていきます。

正面の山を越さねばなりません。

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上った所から見た宇津の谷の集落です。

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先に進んでいくと、突き当りになり、明治のトンネルと言われるトンネルに入ります。

ここには3つのトンネルがあります。

明治のトンネルは写真のトンネル。

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大正のトンネルは旧1号線
昭和のトンネルは現在の1号線の上り線
平成のトンネルは現在の1号線の下り線
もちろん、江戸時代にはトンネルはありませんでした。

トンネルの入り口まで引き返し、旧東海道を進みます。

こんな道になりました。

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広重の絵です。

山の深さが感じられます。

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しばらく進むと峠のピークに着きました。

階段の上に地蔵堂が立っていました。(鼻取地蔵)

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道を下っていくと国道と合流し、1836年に建てられた、旅籠の柏屋。

現在は歴史博物館となっています。

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岡部宿の中心地に入っていきます。

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旧宿場らしい雰囲気の道になってきました。

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各家には、屋号の看板がかかっています。

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こんなのもありました。

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松並木の通りになりました。

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この辺りまで来ると国道やバイパスなどを横切ったりします。

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藤枝宿に入っていきますが、商店街です。

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水守地区にある須賀神社の楠、見事な巨木でした。

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時間も余裕があったので、途中にあった蓮華寺池に寄ってみました。

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駅は近いです。

藤枝宿の中心になりました。

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駐車場の看板にも広重の絵が・・

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広重の絵(人馬継立)・・宿場で荷物の積換え、馬の乗り換えをしているところです。

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勝草橋でこの日の予定は終了しました。

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この日は初めて宿泊を伴った旅でした。

もう少し進んで、青木橋という交差点から、駅近くのホテルに向かいました。

この日の総時間 6時間18分
歩行時間    4時間33分
歩行距離    20.6km
歩数    約25,000歩



久しぶりの街道歩きのため時間に余裕を持ったが余裕を取りすぎた。
(冬になったので、早く暗くなる)
前回と違い、今回は旨いものなし。
駅前のホテルの近くでちょっと飲り、早めに寝てしまった。

< 2009年12月16日の東海道歩きでした >

本日もご訪問ありがとうございました。

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東海道歩き旅 (12) 3月6日(土) [東海道歩き(昔の記録)]

天気は安定しません。

天気予報で言うほど暖かくはありません。

毎日、午後3時ごろになると天気はよくても寒くなります。



10年前の東海道歩きは続きます。

10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。

東海道歩きの記事は初めて披露します。



前記事では藤枝宿まで来ました。

前日は初めてホテルに一泊しました。

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朝8時ごろにチェックアウトしこの日はスタートしました。

良い天気でしたが、風は冷たい日になりました。

前日の最終地点、青木橋交差点をスタートします。

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国道1号線なので車の量が増え始める頃でした。

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やがて松並木の通りになってきました。

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追分の案内があるが何処へ行く道かわかりません。

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いかにも街道歩きらしい道になってきました。

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大きな造り酒屋がありました。

「喜久酔」という酒らしいですが、私は歩き旅、荷物が重くなるので買って歩くわけにはいきません。

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松並木の街道が続きます。

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一里塚の道標が立っています。

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この辺りはお茶の産地、出荷のトラックに積み込み中です。

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歩いているうちに島田宿に入りました。

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島田宿跡は、現在は商店街となっています。

歩道の敷石にはこんな絵がありました。

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島田には帯まつりという大きな祭りがあるそうです。

 「元禄年間に始まった、大井神社のお祭りで、3年に一度開催されます。

島田に嫁いだ女性が氏子になった報告と安産祈願をします。

晴れ着で街中を披露したのが、やがて持参の帯を、大奴に託し披露するようになりました」

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島田宿の問屋場跡の石碑がありました。

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和菓子屋さんもいくつかあります。

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清水屋というお菓子屋さんを覗いてみました。

このお菓子屋さんには、「小饅頭」というお菓子を売っていました。

この饅頭は、松江藩の松平不昧公がこの地を通った時、

小さくして一口で食べられるようにした方が良いと言ったとか。

当時、松江藩の7代目藩主だったと思われます。

松江は、私の故郷です。

松江では不昧流という流派(抹茶)が有名です

これは持ち帰り可能なので、一箱買いました。

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帯祭りが行われる、大井神社の前を通ります。

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やがて道は市街地から離れます。

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大井川の渡しの絵です。

「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」

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古民家のような家がありました。

お殿様が乗る駕篭でしょう。

立派なものですね。

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川の水位によって値段が変わるようです。

この他に、駕篭、蓮台、肩車などにより値段が違います。

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見学をして外に出ます。

新しく博物館が出来ていました。

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川の方に進みます。

大井川は広いです。

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水位が上がると時々川止めと言ってどちらかの岸で待機することになります。

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広重の絵です。

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私はこの橋を歩いて渡ります。

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この橋は昭和3年に完成しました。

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金谷側から見た橋です。

渡るのに、歩いて15分かかりました。

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金谷の渡し場の通りです。

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こんな案内もありました。

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島田側と違い何もありません。

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こんな看板があります。

金谷宿はこんなに長かったのですね。

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金谷側の広重の絵です。

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進んでゆくと、金谷の一里塚跡の道標がたっていました。

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ここから金谷駅はすぐです。

この日はここで終了です。(12:30頃)

総時間  4時間19分
歩行時間 3時間13分
歩行距離13.6km

歩数 30,700歩

金谷から電車で静岡、三島、熱海で乗り換え。

大船着 16時頃でした。



島田で買った小饅頭、こんな饅頭でした。

小さな酒まんじゅうのような感じでした。

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本日もご訪問ありがとうございました。

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東海道歩き旅 13の1   3月9日(火) [東海道歩き(昔の記録)]

このところ天気予報は、外れっぱなしです。

「8日からは冬が終わります」と言っていた昨日の天気、朝から弱い雨で気温も低い一日でした。

散歩に出るどころか、また閉じこもりの一日でした。



10年前の東海道歩きは続きます。

10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。

東海道歩きの記事は初めて公開します。


前記事では大井川を渡って、金谷駅まで歩きました。
(2009年12月17日)

年も変わって2010年になり、東海道歩き旅も2年目に入りました。

新年になり、まだ正月気分も抜けていない、1月18日に出発しました。

今回は2泊の予定です。

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乗りなれたいつもの電車に乗りました。(特急用の快適な車両)

大船駅で何とか座れたものの、藤沢では通路に立つ人が出てきました。

小田原でかなりの人が下車しやっと余裕のある車内になりました。

大船駅で買ったサンドイッチで朝食にしました。

沼津を過ぎると右手に富士山が見えてきました。

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静岡で乗り換えて、金谷駅に9時18分に到着しました。

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今回はこの辺りを歩きます。

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9:30頃出発します。

いきなり急な坂が始まりました。

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どんどん上っていきます。

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周辺の案内板がありました。

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石畳の道が始まりました。

金谷坂の始まりです。

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この石畳は町民の協力で復元されました。

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気持ちの良い道です。

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石畳の途中に地蔵堂がありました。

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別名「すべらず地蔵」というそうです。

このお地蔵様・六角堂・鞘堂は町民の手で据えられたものです。

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「すべらず地蔵」のいわれは、ここの石畳は「すべらない」と言う

理由で、受験や商売など、何事も願いが叶うというとのこと。

(そばにあった案内板)

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時節柄(1月)合格祈願の絵馬が沢山ありました。

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金谷駅からずっと上り坂が続いていましたが、急に開けた場所に出ました。

温暖な地域、気持ちの良い旅になりました。

一面に広がる茶畑です。

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この時期はまだ1月、茶摘みはまだでしょう。

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しばらく行くと諏訪原城跡の案内がありました。

この地で「諏訪」というのは?

調べてみると、武田信玄
の息子の武田勝頼が築いた城である。
 
後に、徳川軍勢に滅ぼされ、牧野城と改名されたとのこと

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遠くの山肌に「茶」の文字が見えました。

東海道新幹線に乗っていると、車窓から見えるはずです。

この山は「栗が岳」と言います。

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石畳の下り初めのところにログハウスの喫茶店がありました。

茶畑の中の喫茶店?? この時10時頃ですが、コーヒータイムにしました。

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中でお話を聞くと、ここから下っていき、その先にまた急な上り坂があるという事でした。

20分ほど休憩しました。

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下っていきます。

こちらは菊川坂なんでしょう。

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石畳の路面は、非常に歩きづらいです。

足を挫きそうになるので、注意が必要です。

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菊川の集落まで下りてきました。

このの記事は(袋井まで)続くので、3回に分けます。

次回に続きます。

2010年1月18日(月)の午前中の記事でした。

本日もご訪問ありがとうございました。

< 追記 >

2月21日にe-tax送信した確定申告、還付金は3月5日に振り込まれていました。

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東海道歩き旅 13の2 3月12日(金) [東海道歩き(昔の記録)]

朝晩はまだ冷えますが、昼間の気温は高くなり、ホッとする天気になりました。

あと1週間ぐらいでソメイヨシノの開花宣言が予想されています。

やれやれです。

ハクモクレン、ユキヤナギ、この時期の花があちこちに咲くようになりました。

今週は病院通いが続きました。

歯科、眼科の定期健診、近くの大きな病院のお泌尿器科の3か月1回の検査。

今日からしばらくは、病院通いはありません。

昨日は3か月に半年に1回の泌尿器科の検査でした。

約10年前に発症した、前立腺がんの腫瘍マーカー(PSA)は約0.178でした。

ほぼ完治(?)です。

(そのほかの病気は沢山ありますが・・・)

病院は比較的空いていて、昼前には帰宅できました。

暖かくなったので、少しは近所の散歩でも出来るのではと思っています。

今日からは天気が良くありませんし、体調がまだ戻りません。



10年前の東海道歩き旅を続けます。

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10年前の東海道歩きは続きます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて公開します。

まだ正月気分が抜けきらない、2010年1月の事です。

前記事に、丸い石がゴロゴロした石畳の道を紹介しました。

その道は、平成になってから復元された石畳です。

こちらは江戸時代後期の元の石畳です。

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この坂を下っていくと、「菊川」です。

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間の宿は宿場との間が長い所に設けられました。

中山道にもいくつかありました。

菊川の街に入って行きました。

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これは何屋さんでしょう。

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上り坂の入り口に来ました。

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急な坂道になりました。

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粟が岳の姿も見えます。
< 前回の記事で栗が岳と記載しましたが、粟が岳(あわがたけ)画正解です>

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高い所なので水遣りも大変でしょう。

こんなスプリンクラー各所に設置されています。

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お寺の前に来ました。

「久延寺(きゅうえんじ)」というお寺です、

山内一豊が境内に茶室を設け、関ヶ原に向かう家康をもてなしたとか・・

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すぐ近くに、「子育て飴」という看板がありました。

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今でもあるようですが、水飴のようなものらしいです。

夜泣き石の跡の石碑があります。

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小夜の中山には、「夜泣き石」伝説が残されています。
久延寺に安産祈願にきた妊婦が中山峠を越える途中、山賊に襲われて殺されました。
お腹の切り口から生まれた赤ん坊を助けるため、母の魂はかたわらの石にのり移って泣きました。
お寺のお坊さんに拾われた赤ん坊は、お乳の代わりに水飴を与えられ、大事に育てられました。
その子供は立派に成長し、母の仇を討ったと云われています。
夜泣き石は現在小夜の中山トンネル脇に据えられているそうです。

山道を下ります。

粟が岳が見えます。

車でも行けるそうですが、道が狭く、徒歩で上る人が多いそうです。

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標高532mの山です。

「茶」の文字は、茶畑のようなものでなく、そこそこの成木だそうです。

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横の林の隙間から特に雪をかぶった山が・・

おそらく御嶽山ではないかと思いますが、確かめていません。

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広重の絵碑がありました。

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ところが私が調べた東海道五十三次の広重の絵は・・・・!

小夜の中山

この違いは何でしょう?


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道はどんどん下っていきます。

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ここは石畳ではないので、速足で歩けます。

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下ったところに日坂(にっさか)宿があります。

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日坂宿の本陣跡ですが、中は幼稚園の様でした。

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川坂屋という旅籠ですが、脇本陣と同様な格式のある旅籠だったようです。

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宿場の中心にある高札場の復元です。

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峠越えの荷物運びの値段などが書いてあります。

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ちょうどお昼ごろでしたが、朝からほとんど食べていません。

食べるところもありません。

そのまま進むとやっとコンビニが見つかり、おにぎりで昼食にしました。
(13時頃)

010年1月18日(月)の午前中の記事でした。

本日もご訪問ありがとうございました。

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東海道 歩き旅 13の3 3月15日(月) [東海道歩き(昔の記録)]

3月も半分過ぎました。

かなり暖かくなってきました。

一昨日(13日の土曜日)は午後を中心に、春雷、大雨と大荒れの天気でした。

昨日は晴天で、東京ではいよいよ桜の開花が始まりました。

朝から晴れ渡った青空でした。

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こんな綺麗な富士山も今冬最後でしょう。

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10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。

10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。

東海道歩きの記事は初めて公開します。

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日坂宿を通過して、掛川方面に向かいます

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伊達方一里塚跡の石柱が立って居ます。

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ひたすら国道1号線を掛川方面に向かいます。

少し市街地に近くなってきました。

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こんな道標がありました。
[大龍頭権現福天大権現参道標]掛川市成滝
成滝道標から800mほど西の、掛川農協西山口支所の脇に大龍頭権現福天大権現参道標が残されています。
この参道標は古くからこの位置にあったものではなく、
元の位置はここから10mほど東にあり、川崎街道起点に置かれていたと、立て札に記されています。
川崎街道とは、掛川宿と縁の深い川崎湊(現静波町)に続く道のことです。

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広重の絵です。

左側から来る僧侶にお辞儀をしている様子です。

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葛川の一里塚の跡です。

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この辺りから、七曲という路地に入ります。

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城下町には、掛川宿にこだわらずこんな曲がり角の路地があります。

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防火用と人の出入りを監視するために設けられました。

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この地方では、秋葉山(秋葉寺(しゅうようじ)とその守護神・三尺坊大権現)が火防の神として有名です江戸時代に入ってから、秋葉山は庶民だけではなく、武士の間にも信者を得ていました。

秋葉山常夜灯は各所に立っています。

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七曲の道を抜けると、宿場のメインの通りに入ります。

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何処にでもあるような、市街地です。

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掛川では大きなお祭りがあるようです。

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これが銀行??? セキュリティは大丈夫なんでしょうか?

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掛川城が見えていました。

藩主だった、山内一豊が有名です。

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道は市街地を離れ、掛川の郊外に変わっていきます。

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一度、国道から離れ、閑静な住宅街を通ります。

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再び、国道1号線に合流します。

バイパスがあるので車の量はそれほど多くはありません。

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また松並木が出てきました。

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緑があるとホッとします。

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間の宿、原川を通過します。

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松並木の説明版です。

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歩道はありませんが、路肩が広いので歩き易いです。

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こちらは北野天満宮ですが、何かお寺のような感じです。

大きな常夜灯が二つ並んでいます

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一里塚跡です。

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一里塚の説明です。

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いきなり小学校の前に出ました。

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「東海道五十三次」どまん中東小学校の看板がかかっています。

正式名称はこちらでしょう。

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かなり薄暗くなってきました。

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もうすぐ袋井の街です。

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道路沿いにこんな小屋がありました。

観光案内所の様です。

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広重の絵にもお茶屋がいくつか並んでいます。

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外から写真を撮っていると中から人が出てきて、「中で休んで行け」と誘われました。

お茶とミカンを頂きました。

ちょっとだけ休憩し、この日の最後の数百メートルを歩きました。

袋井宿本陣跡・・と言ってもこの門しかありません。

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この公園でこの日の最後にしました。

駅に向かう途中に日没になりました。

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この日は、袋井で泊まるつもりでしたが、次の磐田で泊まることにしました。

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この日のメモより

・気持ちの良い天気ではあったけど、前半の二つの峠は予想以上に厳しいコースでした
・また道を間違えてしまった。注意が肝心
・袋井は街を上げての「東海道五十三次どまん中」
・今までかなり進んだと思っていたが、やっと半分終わったところです。
・袋井は食事をするところがなく磐田駅に移動しました
・磐田駅近くの焼き鳥屋で夕食にしました。
・隣の陽気な若者、店のなじみの客、店の主人などと,盛り上がって、楽しい夕食になりました。



東海道ど真ん中はここです。

東海道道中記はまだ半分です。

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総時間  7時間24分
歩行時間 6時間19分
歩行距離 24.5km
歩数  42,500歩

2010年1月18日(約10年前)の東海道歩きでした。

本日もご訪問ありがとうございました。

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東海道 歩き旅 14の1 3月21日(日) [東海道歩き(昔の記録)]

しばらく晴天、暖かい日が続きました。

今日は雨が降り、荒天の予想です。

我が家の近所には大きな霊園があり、昨日は渋滞が起きていたようです。

彼岸の中日頃にはダイヤモンド富士が見えますが、今年は無理でしょう。

前記事には開きかけたチューリップを掲載しましたが、一昨日に開き始めました。

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フリージアのつぼみはもう少しでしょうか??

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+++++++++++++++++++++

東海道歩きの続きです。

10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて公開します。

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前日は金谷から、袋井まで歩きました。

泊まるところの都合で、磐田に泊りました。

朝、8時前に袋井駅まで戻りました。

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前日の終了地点の宿場公園まで歩き、出発です。(8:04)

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付近の名所案内があります。

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前日、袋井に着いた時見たのは、「東海道どまんなか東小学校」でしたが・

こちらは「東海道どまんなか西小学校」です。

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正式名称はこちらです。

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道は磐田の方に向かって進みます。

こんな絵が店のシャッターに書いてあります。

こんな絵は開店前でないと見ることはできません。

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道は市街地を離れて郊外に向かって進みます。

こんなところは、ほとんどの場合、右側のような細い道が旧道です。

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一里塚(復元)がありました。

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木原一里塚、江戸から61里目です。

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このあたりは武田軍勢と徳川軍勢が戦ったところで木原畷と言います。

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松並木のの道を進みます。

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小さな山があり、山の中の道に入って行きます。

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足元を見ると、こんな石碑が・・

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山賊でも出そうな道です。

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この辺りも古戦場だった様です。

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道は山からでて住宅街に入りました。

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突然、こんな看板が立っています。

品川の刑場と同じ「鈴ヶ森」という名前がついています。

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道は街中に入ります。

この建物は農協です。

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9時半ごろ、近くにあったマクドナルドで軽い朝食とコーヒー。

さらに進むと、白い建物がありました。

明治8年に立てられた旧見附小学校
(日本最古の洋風木造建築校舎)

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見附宿と言っても、あまり知られていない地名ですね。
(赤坂見附は有名ですが・・・)

見附宿は本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠五56軒の宿場だったようです。

昔の建物などは残っていません。

西からきて初めて富士山が見えるところだったそうです。

広重の絵

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当時(10年前)ジュビロ磐田が人気だったと記憶しています。

歩道に埋め込まれた、足型。

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昨晩泊まった磐田駅付近に着きました。

駅には向かわずに、浜松方面に進みます。

  宮之一色秋葉常夜灯がありました。

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    むき出しの灯篭ではなく風除けの囲いがけしてあります。

     上部の格子の隙間から明かりが見える様になっています。

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軒下には竜の彫り物があり立派なもでした。

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国道1号線から離れて左の道に行きます。

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長森の立て場に着きました。

「長森のかうやく」

ここでは切り傷、あかぎれに効く膏薬を作っていました。

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11:47

天竜川橋の近くまで来ました。

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昔は橋なんかないので、当然「渡し」に乗ることになります。

渡船場は約1.2Kmもっと上流にありますが、ここは見ずに先へ進みます

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現在、ここには3本の橋が架かっています。

一番下流側が昭和8年に出来た橋で、片道1車線(歩道なし)

真ん中の橋が4車線の下り専用の橋で歩道が付いています。

上流側が4車線の上り専用の橋です


真ん中の橋が出来たのが2006年秋ごろなので、それ以前は

歩いてこの橋を渡るには大変だったらしい。

他の人の東海道歩きの記録を見ると、下流の橋(写真の左側の橋)を恐る恐る

渡ったとか(1mぐらいの路側帯)を歩いた、


タクシーを呼んで橋を渡ったなどさまざまです。

今は安心して渡れます。

これは歩道です。

大井川と同様、長い橋で10分ぐらいかかりました。

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本日もご訪問ありがとうございました。

次は、浜松市内に入ります。



昨夕、東北地方でまた地震がありました。

津波はなかったようですが、結構揺れたようです

ご注意ください。


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東海道歩き旅 14の2 3月24日(水) [東海道歩き(昔の記録)]

今年の冬は、2月に4月ごろの陽気になったり、真冬のようになったりして体調が定まりません。

又、最近は台風のような嵐が来たかと思えば、一昨日の夜は寒い夜でした。

昨日はやっと暖かい一日となりました。



2010年1月18日は袋井からスタートしました。

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10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて公開します。

前記事最後に記載しましたが、浜松市に入るため長い天竜川を渡ります。

ところで天竜川の源はどこかご存じですか?

<諏訪湖から流れています>

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天竜川を渡り終えると小さな公園がありました。

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ここには付近の案内板がありました。

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旧東海道を進みます。

浜松と言えば「うなぎ」

最近は餃子も宇都宮と競っているようす。


この時はそうでありませんでした。

お昼に近かったので、うなぎにしようかと思いました。

この日は友人と会うので、うなぎは夕食にすることにしました。

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田舎町みたいな通りを進みます。

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立派なお屋敷がありました。

浜松の堤防を築いたり、地元の実業家(金原明善)の生家だそうです。

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道はにぎやかな通りに変わりました。

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駅前の高層ビルが見えてきました。

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私は島根県松江市の出身です。

「松江」という交差点がありました。

全く関係ありませんが、なんとなく懐かしく感じます。

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どんどん街中に入って行きます。

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三立製菓、昔、三立パンってありましたね。

源氏パイの看板もついています。「源氏パイ」も、最近見かけなくなりましたね。

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駅のすぐそばまで来ました。

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昔の中心地の様です。

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本陣跡ですが、浜松宿は、本陣6軒、旅籠94軒を誇り東海道では最大規模の宿場でした。

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屋根のある高札場跡も珍しいです。

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馬頭観音は中山道を歩いている時にはよく、見かけました。
(ほとんど野仏のような石仏でした)

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国道一号線をひたすら西へ向かいます。

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歩道橋の横に赤い鳥居が立っています。

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鳥居の先は駅のはずですが、神社はなく、背中の方に神社はありました。

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歩道橋を渡ります。

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歩道橋を下りたら、JR高塚駅(浜松の一駅名古屋側)

モダンなデザインの駅です。

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高塚駅から電車で浜松駅に戻り、友人と合流しました。

この友人は前年夏に箱根越えを一緒にしました。

この日のメモ

・今日はあまり見所はありませんでした。(見附、浜松とも跡地だけ)

・天竜川の橋は歩道があり快適でしたが、数年前まで歩道がなく歩いて渡るには大変だったとの事。

・浜松はさすが都会の雰囲気を持った町でした。

・足の裏に靴擦れのような感触が出てきました。

・翌日、一緒に歩くMさんが19:30に到着し一杯飲み最後にうな重で〆(しめ)

総時間  8時間37分
歩行時間 7時間03分
歩行距離    28.5km
歩数 約42,000歩

この日の翌日にはいよいよ愛知県に入ります。


++++++++++++++++++++++++

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一昨日、近所の桜が一斉に咲き始めました。

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晴れた空に映えます。

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待ち焦がれていたフリージアの花も開花しました。

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まだ香りを楽しむところまで行きません。

つぼみは沢山あります。

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本日もご訪問ありがとうございました。



お断り、本日は通院日です。

皆様への訪問は遅れます。

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東海道歩き旅 15の1 3月28日 [東海道歩き(昔の記録)]

昨日は急遽休みました。

最近は昔みたいな頻度で更新できなくなりました。

今は3日に一度の更新をしています。

東海道歩の14日目は、高塚(浜松の一つ先)まで歩き、一駅戻り、浜松で泊まりました。

10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
 東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。

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この日の予定は、長かった静岡県を通過して、いよいよ愛知県に入ります。

帰りの電車の都合上、この日の最終はJR二川駅にしました。

4つの宿場町を通過します。
(約25kmほどあります)

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朝、7時過ぎにホテルを出発、7:45高塚に到着しました。

8時頃、昨日の終了
地点を出発しました。

メインの通りではなく、静かな道です。

前日、ここで飲んでいたわけではありません。

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ほとんどの車は左に分かれ、さらに静かな道になりました。

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今まで見たような、屋根付きの秋葉常夜灯があります。

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ここから公園のような道になります。

松並木の道が始まります

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道路沿いの、左側には、東海道五十三次のモニュメントがあります。

これは日本橋かな?

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こんな松並木が続きます。

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あたしが歩いたのは、右側で、干支のモニュメントがあります。

これは、最初の「子の刻のモニュメント」です。

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それぞれに、干支の動物を象ったモニュメントがありました。

「 牛 」

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「 寅 」

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それぞれに、時刻の表示をした、モニュメントが立っています。

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こちらは「 竜 」

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散歩をする人も少ないのか、静かな道です。

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松並木も中盤になりました。

「 巳 」

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「 午 」

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舞阪宿のモニュメントがあります。

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広重の「絵」です。
右奥に小さく富士山が見えます。
前半の絵と比べると富士の大きさがとても小さくなってきました。
水の深い藍色はヒロシゲ・ブルーと言われる美しい色遣いです。

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いよいよ舞坂宿に入ります。

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まだ干支の、モニュメントがありました。

「 酉 」

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「 戌 」


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こんな石像がありました。

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浪小僧というそうです。

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こんな物を見ながら歩くと飽きません。

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最後に「 亥 」

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これで最後です。

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松並木の最後に「新町常夜灯」がありました。

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舞坂宿の一里塚跡を通過します。

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ここから普通の道になりました。

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舞坂宿は本陣二軒、脇本陣一軒、旅籠二十八軒の宿場町でした。

脇本陣が改装されて残っています。

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中に入れましたので、見学させていただきました。

上段の間、今のように暇をつぶすこともないので何をしていたんでしょう。

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立派な部屋でした。

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当時使った駕篭が展示してありました。

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まだ10時過ぎ、頑張って次に進みましょう。

新居宿に向かいます。

こんな姿で歩きました。

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2010年1月20日の東海道歩きの記録でした。

この日はまだまだ続きます。

本日もご訪問ありがとうございました。

今日は天気が悪いようです。

山の桜も散ってしまうでしょうか。

昨日も空が白くて綺麗な写真になりませんでした。

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東海道歩き旅 15の2 3月30日(火) [東海道歩き(昔の記録)]

3月も明日までになりました。
28日、29日に降った雨で桜も散るかと思いましたが、幸いまだ十分残っています。
数日は桜が楽しめそうです。

10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。

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10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
 東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。

2010年1月20日の朝、JR高塚駅を出発して舞坂宿まで来ました。

舞坂宿脇本陣を出発して、次の新居へ向けて出発しました。

出発するとすぐに海に出ます。
(海と言っても浜名湖の一部ですが・・)

遠くに浜名バイパスが見えます。

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こちらは舞坂漁港。

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江戸時代には、舞坂から新居までは渡し舟でした。

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こちらは雁木跡(渡船場)です。

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この赤い鳥居はおなじみでしょう。
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東海道新幹線によく乗る人はおなじみの景色です。
(昔、関西にいる時、何回となく見た景色です)

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2~3分毎に通過します。

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道路は弁天島の中を進みます。

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付近の看板がありました。

今見直してみると、南が上になっています。

非常にわかりにくい看板でした。

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JR新居駅前を通過します。

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歩道にはこんなタイルが埋めてあります。

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しばらくこんなところを進みます。

昨日、GoogleEarthで見たところ、現在とはまるっきり違いました。

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この橋は今でもあります。

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浜名橋には片側だけですが、何枚かの陶板が並んでいます。

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全部で5枚ぐらいでしょうか。

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この写真は後ろを見たところです。

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これは新聞販売店、昔風に改装してあります。

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やがて新居関所の建物が見えてきました。

大きな建物です。

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改装工事中でした。

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今はかなり変わっているでしょう。

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広重の「絵」です。

浜名湖の西岸の宿場です。画面中央の舟を先頭に、参勤交代の大名が水面を行く様子が描かれています。

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関所の向かいに旅籠跡の建物がありました。

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2010年1月20日の東海道歩きの記録でした。
この日はまだまだ続きます。

本日もご訪問ありがとうございました。

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昨日の朝は綺麗に晴れ渡りました。


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フリージアもどんどん咲きだしました。

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本日もご訪問ありがとうございました。

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東海道 歩き旅15の3  4月3日(土) [東海道歩き(昔の記録)]

桜まだ咲いていますが、かなり散ってしまいました。

10年前の東海道歩き旅を続けます。

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10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
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 東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。
この日は、高塚駅から歩いてきました。

新居宿辺りでは、食べるところが見つからず、11時半頃たまたま見つけたすし屋で食事。

スーパーの寿司のようなもので、あまり???

とりあえず腹を満たして、次の宿場町に向けて出発しました。

しばらく畑の道を歩きます。

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やがて、海が見える道になりました。

白須賀宿は、昔、津波の被害があり、それ以後、丘の上に宿替えをしたと言われています。

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昔の宿場があった辺り??

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案内図がありました。

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広重の浮世絵です。

遠江国最西端の宿場で、現在の静岡県最西端の宿場でもあります。

大名行列を横から見た、左右対称の面白い構図になっています


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宿場が移動した後は、右奥の丘に変わったと思われます。

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道は上り坂に変わります。

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静かな道になって行きます。

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小さな集落があり、家の中から呼び止められました。

当時、94歳のおばあさんでした。

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こんな草履をいただきました。

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ありがたく頂戴して先に進みます。

道中、リュックに付けていました。

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進んでいくと、「おんやど白須賀」という休憩所がありました。

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いくつかの展示物もあります。

高台に移転したのでこんな景色だったのでしょう。

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広重の絵も展示してあります。

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そして、「あれ?」

草履をいただいたお婆さんの記事!!!

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白須賀宿は綺麗な宿場町に整備されています。

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宿場町の古い町並みから普通の道路に変わります。

とうとう愛知県に入りました。

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愛知県側から見た道路です。

中央の赤信号の辺りが県境です。

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ここから約4km、国道歩きが続きます。

こういう時に限って、反対側にコンビニがありますが怖くて渡れません。

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ちょっとスピードを上げて、二川駅を目指します。

小さな川を渡ります。

正面の大きな岩山は東海道新幹線に乗っているとよく見える山です。

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やがて、二川宿に差し掛かりました。

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旧旅籠、東駒屋

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各家の玄関には二川の暖簾と花が活けてあります。

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旅籠に着いた客はこのようにして迎えられたのでしょう。

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二川宿本陣資料館です。

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広重の「絵」ここから三河国、そして現在の愛知県に入ります。

夕暮れ時に旅の三人が重い足で宿へ向かう様子が描かれています。

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もう一度訪ねたいと思いましたが、別の機会にすることにしました。
(達成できていません)

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この日は家まで帰るので急いで駅に向かいました。

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  15:59二川駅発
 掛川行き16:26浜松着
  16:37浜松発 
  19:02熱海着 
  19:10熱海発(東京行き)
  20:17大船着
この日の 記録
総時間  7時間52分
歩行時間 6時間36分
歩行距離    25.4km
歩数  約41,877歩

今回は、袋井から、二川まで2泊3日で歩きました。

1月20日現在ここまで来ました。

江戸から約300km

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桜はかなり散ってしまいました。

ドウダンの可愛い花が咲きだしました。

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ツツジもかなり咲き出しています。

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白須賀で頂いた、草履はその後の中山道、日光道中、甲州道中でも常に付けていました。

今でも家にあります。

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本日もご訪問ありがとうございました。

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東海道歩き旅 16の 1  4月9日(金) [東海道歩き(昔の記録)]

2009年~2012年の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
 東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。

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この前の二川宿まで歩いたのは、2010年1月20日でした。

それから約半年、いろんな事があり、しばらく出かけませんでした。

2010年5月に、初孫が生まれました。

この子も、今年から5年生です。

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2010年8月に出かけました。

大船発、5:44、各駅停車を乗り継いで二川駅に到着しました。

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二川駅を10時過ぎに出発しました。

ここから三河国、そして現在の愛知県に入ります。

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夕暮れ時に旅の三人が重い足で宿へ向かう様子が描かれています。

この日は真夏日、暑い道を豊橋に向かって進みます。

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空の青さが違います。

コンビニも見つかりません。

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旧東海道のクロマツ跡の石碑が立っています。

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市街地に入ってきました。

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大きなお寺がありました。

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立派なお寺です。

寿泉寺というそうです。

佇まいも含めて、京都のような感じです。

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花壇の中に大きな常夜灯が立っています。

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なんと! 路面電車が走っています。

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停留所(?)の近くに、門がありました。

宿場の惣門です。

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広重の絵です。
右に見えるのは吉田城、修復中を絵に表しています。
中央には豊川、左には豊橋が描かれています。

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市街地に入って行きますが、昼食を食べなければなりません。

蕎麦屋が見えていますが、中華料理の店でお昼にしました。

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この日は赤坂宿までの予定です。

頑張って歩きましょう。

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やっと、豊橋を離れます。

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++++++++++++++++++++++

最近、水泳の世界選手権のテレビ中継を放送しています。

池江選手がオリンピックに内定したとか・・

あれだけの病気の中で、あの体力の維持。

同じ病気ではありませんが、並大抵な努力では達成できないでしょう。

私も似たような薬の治療をしています。

頭が下がる思いです。

とはいえ、昨今のコロナの状態でオリンピックを開催することに関しては???

私も少しは足を鍛えないといけないとなんとか毎日スクワットをしています。

このところバタバタしていて、皆さんへの訪問が遅れています。

ご容赦願います。

本日もご訪問ありがとうございました。

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東海道歩き旅 16の2 4月11日(日) [東海道歩き(昔の記録)]

この数日寒い日が続いています。

桜が咲いている時は、ぽかぽか陽気で公園のベンチでゆっくり花見が出来ました。

桜が散ったとたん、寒くなり、家に閉じこもる日が続きました。

明日からは暖かさが戻るようです。

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東海道歩きの続きです。

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2009年~2012年の東海道歩き旅の記録を続けます。
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 東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
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吉田宿を後に、豊川の橋を渡ります。

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橋を渡ると普通の道になりました。
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下地の古い町並みを通ります。

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この日も暑い日でした。

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突然、魚市場の前に出ました。

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魚市場の横を通って、豊川市に入りました。

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たまたま通った道沿いにスーパーがありました。

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カットフルーツを買って、休憩です。

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一息ついて進みます。

伊奈立場茶屋跡の石碑です。

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太鼓屋さんがありました。

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伊奈の一里塚跡の石碑です。

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本越坂の追分に立っている常夜灯。

本越坂とは、「姫街道」と呼ばれる浜松へつながる道。

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御油の一里塚跡。

江戸日本橋より76里。

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こんな所です。

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古い町並みのタバコ屋さん。

看板娘はいません(笑)

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御油(ごゆ)に近づくにつれて、川沿いに歩きます。

ここでも手筒花火をやるんでしょうか?
(昨年からは中止らしいです)

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さすが、旧街道、こんな細い道もあります。

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大きな倉庫がありました。

イチビキ醤油の醤油蔵です。

名古屋で醬油と言えばイチビキは有名ですね。

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いよいよ、「御油の松並木」に入ります。

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ここは、宿場でした。

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夕暮れ時、旅籠の女が旅人を無理矢理引きずり込もうとしている一枚です。

観光地になっていて、丁寧な案内もあります。

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松並木の中は車が通りますが、車に気を付ける必要があります。

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御油宿と赤坂宿は1km程しか離れていません。

赤坂宿のはずれに近づきました。

これは民宿でしょうか??

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赤坂宿の地図が掲示してあります。

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赤坂駅の近くの案内板。

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歩いて5分程で名鉄の駅に着きました。

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この後、豊橋に戻り、一泊して次に続きます。

本日もご訪問ありがとうございました。

今週は病院通いが、二か所あります。

更新は不定期になります。ご了承ください。

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東海道 歩き旅 16の3 4月16日(金) [東海道歩き(昔の記録)]

前回の記事で今週は病院に2回行行かねばならないと記載しました。

私の勘違いで、1回でした。

一昨日は雨降り、強い雨になるという予報でした。

最近は朝一番に行くことが多く、タクシーに乗ることが多いです。

幸い、数分で来てくれるので、助かります。

それにしても、かなり強い雨でした。

港南台から帰る時もちょうど止んでいる時でしたので、濡れずに帰ることが出来ました。

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東海道歩きの続きです。

2009年~2012年の東海道歩き旅の記録を続けます。
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掲載している写真は当時のものです。
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8月4日は、赤坂宿まで歩いて、豊橋まで戻り、ホテルに宿泊しました。

翌朝、名鉄電車に乗り込みます。

朝早かったので、直通電車はありません。

「国府」(こう)で乗り換えです。
この辺りの電車事情はよく分かりません。

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まだ静かな駅です。

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一宮行きの電車にのります。

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6時過ぎに赤坂駅に着きました。

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歩き出すとすぐにこんな交差点がありました。

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小さな公園がありました。

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赤坂宿のお祭りの看板です。

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東海道の通りには昔ながらの家が並んでいます。

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昔ながらの商売でしょう。

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大橋屋、1692年創業の旅籠で、広重の絵のモデルともいわれています。

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広重の絵です。

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東海道で21世紀まで営業を続けた唯一の旅籠がある宿場です。
現在でも当時の様子が色濃く残っています。
「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」
という言葉があるほど活気ある宿場でした。


私はこの時も営業しているとは思っていませんでした。

後から考えれば泊まればよかった。

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こんな看板があります。

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先へ進みます。

この日も良い天気でした。

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こんな名前のバス停がありました。

都市部では考えられません。

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長沢城跡の案内、この辺りは小さなお城が各所にあったのでしょう。

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進んでいくと、常夜灯が立っています。

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普通の街道歩きになります。

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長沢の家並、こういう道は旧街道らしい通りです。

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観音堂でしょうか?

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名鉄の線路に沿った道になります。

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岡崎市に入ります。

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岡崎市本宿(もとじゅく)に着きました。

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今は特に街並みがあるわけではありません。

藤川宿の入り口です。

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古い町並みを進みます。

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藤川宿の浮世絵(広重)です。

幕府から朝廷へ馬を献上する行列の様子です。旅人たちがこの行列に土下座をしています。

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道は少しそれますが、地図があるので間違えることはありません。

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岡崎に向かって進みます。

続きは次回に。

本日もご訪問ありがとうございました。

+++++++++++++++++++++++

昨日は良い天気でしたがまだ少し寒い風が吹いていました。

今は新緑の世界です。

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フリージアもまだ咲いています。

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コロナは治まるどころか、どん
どん酷くなっています。

SGは国内をほったらかしてアメリカへ飛んでいきました。

また、子ども庁創設に向けて、2F爺さんを指名したとか・・

80過ぎた爺さんに何が出来るのでしょう??

この人(SG)はどんな頭をしているんでしょう。????

昨日はよい天気でしたが、今日からまた崩れるそうです。

私には関係ありませんが、今週末も悪天候です。

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東海道歩き旅 17の1 4月19日(月) [東海道歩き(昔の記録)]

最近の天気予報は、ほぼ当たるようになってきました。

一昨日の夜は嵐のような天気でしたが、昨日の朝は好転、綺麗な青空になりました。

但し、日本海側は、場所によっては雹、霰が降った所もあり、まだまだ冬の気候です。



八重桜もほぼ散ってしまい、今はツツジがあちこちで咲き誇っています。

体調はあまり思わしくなく、家でゴロゴロしていることが多いです。

なんとか毎日ストレッチは続けています。

数週間前には左足が不自由で、立つことも不便でした。

ストレッチと軽いスクワットで何とか回復してきました。

++++++++++++++++++++++++

2009年~2012年の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
 東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います

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この日は前日に豊橋で泊まり朝から歩いて、藤川宿の入り口まで来ました。

手作り風の案内が立っています。

すでに岡崎市に入っています。

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本宿の一里塚跡の石碑です。

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本宿の入り口の案内です。

松並木の一部が使われています。

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名鉄の線路に沿って進みます。

この車両は、2,3年前まで走っていた成田エクスプレスとそっくりですね。

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こんな案内もありました。

ここから藤川宿の中心地になるようです。

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畑の中に常夜灯ポツンと立っています。

これならばよく目立ちますね。

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昔ながらの旧街道を進みます。

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藤川宿の中心、本陣跡の案内です。

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小さな空き地に石碑が立っていました。

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道は静かな道に変わります。

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西棒鼻跡の案内です。

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広重の絵です。
幕府から朝廷へ馬を献上する行列の様子です。旅人たちがこの行列に土下座をしています。

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松並木の道に変わります。

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今度は国道沿いの道になり、うるさい道になります。

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静かな松並木と合流したり、一緒になったりします。

明治以降、国道を作る時、旧街道と並行して作られたところがほとんどです。
(又は、旧街道が拡幅してそのまま新しい道になった所)

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大平(たいへい)一里塚です。

江戸から80番目(約320km)の一里塚です。

比較的、昔の姿が残っています。

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道路は行き止まりになり、地下道で国道を渡ります。

これも旧街道歩きでしょうか。

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国道の反対側に変わります。

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更に旧東海道を歩いていくと、前方に冠木門が見えて来ました。

二十七曲りの案内石碑と要所にあった木戸(門)を冠木門として再現したと言われます。

ここ岡崎は家康の生誕地であり、先祖の松平家の本拠地でもありました。

岡崎に入部した田中吉政が東海道を城下に引き入れました。

城の防衛上、27曲りと呼ばれるように多くの曲折をなした街道を作りました。

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現在では戦災や戦後復興の道路拡張のため宿場町としての面影はほとんど残っていません。

旧東海道に建立されていた城下27曲りの石碑を参考に旧街道筋をたどることができます。

このような道は掛川にもありました。

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地図ではこうなっています。

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道路の角には案内が立っています。

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街は普通の都市の町並みです。

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この日は赤坂から歩いてきました。

また、この日は家に帰る予定でした。

腹ごしらえも必要です。

良いにおいがしてきました。

この店に吸い込まれました。

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(Google ストリートビュウ)

関東風の焼き方ではなく、皮がパリッと焼いてあり、美味しいウナギでした。
(残念ながら写真はありません)

東海道をもう少し歩きます。

岡崎城が見えてきました。

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若き徳川家康が暮らした岡崎城の城下町として、府中宿の次に大きな宿場町でした。

絵には東海道一長い橋・矢矧橋が精密に描かれています。


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駅の方に向かいますが、八丁味噌のショールームがありました。

家へ持って帰るには少し重いですが小さなパックを買いました。

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駅まで歩いて名鉄電車に乗ります。

この日はここから大船まで帰ります。
名鉄岡崎公園発 14:43
豊橋(JR)発15:28発
浜松発16:01発
熱海発18:59発
国府津発19:33発
大船着20:03着
総時間(休憩含む) 7時間30分
     歩行時間         5時間53分
 歩行距離(概算)  20.7Km
       この区間の歩数 31,810歩
       この日の総歩数 36,324歩

2010年8月5日の東海道歩きの記録でした。

本日もご訪問ありがとうございました。

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コロナワクチンの接種は進んでいるかに報道されてはいます。

実際のスケジュールは聞くたびに 遅れて、9月とか何とか言っています。

予防するしかありません。

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東海道歩き旅 18の1(4月29日)(木) [東海道歩き(昔の記録)]

しばらく失礼しました。

最近あまりにも気温の上下が激しいので、体が不調でした。

東海道歩きの記録に戻ります。

2009年~2012年の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
 東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。

前回の記事では、2010年8月5日に岡崎まで行きました。

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今回は岡崎から出発します。

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毎回同じ電車に乗ります。

大船発5:44の各駅停車に乗り、何回か乗り換えて岡崎公園駅に着いたのは10:25でした。

新幹線を使う方法もありますが、昔の人は歩いたところ、ここまでずっと各停で来ました。

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早速歩き出しますが、良い天気で暑そうです。

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細い道に入って行きます。

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八丁蔵通りの看板があります。

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八丁味噌の蔵が並んでいます。

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このような古風な会社もありました。

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まだまだ蔵が並んでいます。

通りは狭いです。

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味噌の作り方の看板がありました。

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この蔵は比較的新しい蔵でした。

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この道標を見て進みます。

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やがて、狭い通りを抜けて、広い川に出てきました。

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ここにかかっている橋が矢作橋です。

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広重の「絵に」も描かれてます。

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今は舗装道路の矢作橋を渡ります。

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矢作川を渡ると、普通の道になります。

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空は青空、良い天気でした。

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西雲寺というお寺がありました。

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他の建物を入れると立派なお寺です。

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そのまま進みます。

松並木が見えてきました。

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現在はどうかわかりませんが、松並木が残っています。

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やがて、永安寺というお寺の前を通ります。

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中に入ってみるとこんな看板がありました。

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立派に仕立ててあります。

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手間もかかるでしょう。

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こじんまりとした綺麗なお寺でした。

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先へ向かって進みます。

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この先は池鯉鮒宿になります。

本日もご訪問ありがとうございました。

まもなく5月です。

柏餅、こいのぼりの季節です。

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まだ、オリンピックの事でウジャウジャ・・もういい加減に「止める」と決めれば・・

日本のSもIOCのBも・・・

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東海道歩き旅 18の2 5月2日 (日) [東海道歩き(昔の記録)]

昨日は午後からなんとなく曇りの模様になりました。

おまけに、午前、東北地方で大きな地震があり、該当地域ではびっくりされたことでしょう。

更に、横浜、三浦地方では、夕方には強い雷鳴が響き、荒れた天気でした。



4月30日は病院に行く用事がありましたが、非常にさわやかな、良い天気でした。

昨日から5月になりました。

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残念ながら午後から雷雨になり、今日は少し崩れるような雰囲気です。


・・・・・・・・・・・・・・・

2009年~2012年の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
 東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。

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前回の記事では、岡崎から知立に向かって進んでいました。

<  お断り  >

前回の記事に掲載しています「西雲寺」は、「永安寺」の「雲竜の松」と順番が逆でした。



とはいえ池鯉鮒宿に向かって進みます。

池鯉鮒宿は現在では知立という地名になっています。

池鯉鮒(ちりふが現在の知立になったとか)

猿渡川の橋に差し掛かります。

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これまでは安城市でしたが、ここから知立市になります。

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橋の欄干に松並木のデザインが・・

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私が通った10年前はこんなのどかな田園地帯でした。

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来迎寺の一里塚に差し掛かりました。

普通、一里塚は榎を植えることが多いけど、ここは代々松の木と決まっているらしいです。

ゴミの集積所になっているのが????

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道は松並木の道になってきました。

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幹線道路ではないので、静かな道です。

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歩道部分があるので、歩き易いです。

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松並木の案内看板がありました。

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池鯉鮒宿の中心だったところでしょう。

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広重の浮世絵はこんな絵です。

   <  池鯉鮒宿  >
江戸からここまでおよそ10日かかったと言われています。

馬市で有名で、絵からもその様子が見て取れます。

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知立の駅前ですが、この日はこの辺りのホテルを予約していました。

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池鯉鮒宿の中心地あたりでしょうか。

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江戸時代に描かれた昔の屏風絵の看板がありました。

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今は、当時の多くの寺院が残っています。

横道を覗くと奥の方に小さなお寺が見えます。

密蔵院というお寺の様です。

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知立のホテルを予約してありますが、もうしばらく進みます。

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今岡の町並みのような古い町並みもところどころ残っています。

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たまたま門が開いていました。

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境川の橋を渡ります。

三河の国から尾張の国に入ります。

この写真、わざとぼかしてあります。

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平凡な道に変わります。

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普通の道と言っても案外静かです。

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元々は松並木があったんでしょう。

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こんなお寺がありました。

鎌倉の大仏も「高徳院」ですが・・・

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この近くでは、昔、桶狭間の合戦があった場所です。

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このような案内が立っています。

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ホテルに帰る時間もあるので駅に向かいます。

大きな馬蹄があります。

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中京競馬場の駅でした。

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真夏ですので競馬は開催していませんでした。

電車に乗って知立駅に戻ります。

本日もご訪問ありがとうございました。
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S首相はオリンピックのために看護師(元を含む)を500人集めるとか???

そうでなくても医療逼迫しているというのに、よくも平気でそんなことが言えるな・・・

コロナ患者(人の命)よりオリンピックが大事なんだろうか??????

腹が立ってたまりません・・・

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東海道歩き旅 18の3  5月5日(水) [東海道歩き(昔の記録)]

今日は端午の節句ですが、最近、鯉のぼりを、見たことはありません。

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2009年~2012年の東海道歩き旅の記録を続けます。
この頃は、このブログはまだ始めていませんでした。
 東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。

前日桶狭間の合戦場まで行き、知立に戻り、ホテルに泊まりました。

起床は5:30頃です。

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その頃のビジネスホテルは、朝食付ではなく前日買っておいたパンで朝食としました。

知立の駅にはこんな幟が立っていました。

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電車で中京競馬場まで行き出発します。(6:30頃)

昨日立ち寄った桶狭間の合戦場近くを進みます。

通勤時間帯なのか、車の量が多いです。

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やがて静かな道になりました。

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昔の街並みになりました。

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家にはこんな看板を付けているところがあります。

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そして、各家には、こんな暖簾がかかっています。

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この通りはちょうど電線の地中工事が行われていました。

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電線が無いとすっきりしますね。

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立派な家ですね。

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こんな暖簾もあります。

こんな生地で浴衣を作ればおしゃれですね。
最近はマスクも作っているとか・・・

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有松絞りは、竹田庄九郎が豊後の絞り染を参考にこの地の名産品になりました。
(朝早いのに「氷」の幟が出ています)

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旧藩時代の遺構をとどめている、服部家の屋敷です。

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広重の浮世絵の鳴海宿です。

 この辺りでは絞り染めが名産で、鳴海絞やすぐ近くが産地の有松絞の店を描いています。

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観光客も多いのでしょうね。

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もうここは名古屋市なんですね。

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工事中の場所も残っています。

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地面にはこんなプレートが埋めてあります。

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当時はこの辺りで工事区間は終わりそうでした。

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有松の一里塚があった様です。

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有松地区も終わります。

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進んでゆくと、「瑞泉寺」という寺院がありました。(鎌倉にも瑞泉寺がありますが・・)

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立派な門構えでした。

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今日はまた天気が崩れるとか。

安定しません。

本日もご訪問ありがとうございました。

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相変わらず政府の無策が続いています。

テレビではオリンピック予選ばかり・・・

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