記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。
前回の記事では、岡崎から知立に向かって進んでいました。
< お断り >
前回の記事に掲載しています「西雲寺」は、「永安寺」の「雲竜の松」と順番が逆でした。
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とはいえ池鯉鮒宿に向かって進みます。
池鯉鮒宿は現在では
知立という地名になっています。
池鯉鮒(ちりふが現在の知立になったとか)
猿渡川の橋に差し掛かります。
これまでは安城市でしたが、ここから知立市になります。
橋の欄干に松並木のデザインが・・
私が通った10年前はこんなのどかな田園地帯でした。
来迎寺の一里塚に差し掛かりました。
普通、一里塚は榎を植えることが多いけど、ここは代々松の木と決まっているらしいです。
ゴミの集積所になっているのが????
道は松並木の道になってきました。
幹線道路ではないので、静かな道です。
歩道部分があるので、歩き易いです。
松並木の案内看板がありました。
池鯉鮒宿の中心だったところでしょう。
広重の浮世絵はこんな絵です。
< 池鯉鮒宿 >
江戸からここまでおよそ10日かかったと言われています。
馬市で有名で、絵からもその様子が見て取れます。
知立の駅前ですが、この日はこの辺りのホテルを予約していました。
池鯉鮒宿の中心地あたりでしょうか。
江戸時代に描かれた昔の屏風絵の看板がありました。
今は、当時の多くの寺院が残っています。
横道を覗くと奥の方に小さなお寺が見えます。
密蔵院というお寺の様です。
知立のホテルを予約してありますが、もうしばらく進みます。
今岡の町並みのような古い町並みもところどころ残っています。
たまたま門が開いていました。
境川の橋を渡ります。
三河の国から尾張の国に入ります。
この写真、わざとぼかしてあります。
平凡な道に変わります。
普通の道と言っても案外静かです。
元々は松並木があったんでしょう。
こんなお寺がありました。
鎌倉の大仏も「高徳院」ですが・・・
この近くでは、昔、桶狭間の合戦があった場所です。
このような案内が立っています。
ホテルに帰る時間もあるので駅に向かいます。
大きな馬蹄があります。
中京競馬場の駅でした。
真夏ですので競馬は開催していませんでした。
電車に乗って知立駅に戻ります。
本日もご訪問ありがとうございました。
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S首相はオリンピックのために看護師(元を含む)を500人集めるとか???そうでなくても医療逼迫しているというのに、よくも平気でそんなことが言えるな・・・