東海道歩き旅 (10) 3月1日(月) [東海道歩き(昔の記録)]
今日から3月です。
我が家は息子3人だったので、ひな祭りには、縁がありませんでした。
但し、三男のところに、孫娘が二人いるので、いつも何かを送って楽しんでいます。
昨日はよい天気でしたが、天気予報で言うほど暖かくはありませんでした。
暑さ寒さも彼岸までというのが当たっているのかもしれません。
中々暖かい日の散歩の記事になりません。
今日も又10年前の東海道歩きの記事になります。
内容は2009年の記事になります。
現在は違うところがあると思います。
我が家は息子3人だったので、ひな祭りには、縁がありませんでした。
但し、三男のところに、孫娘が二人いるので、いつも何かを送って楽しんでいます。
昨日はよい天気でしたが、天気予報で言うほど暖かくはありませんでした。
暑さ寒さも彼岸までというのが当たっているのかもしれません。
中々暖かい日の散歩の記事になりません。
今日も又10年前の東海道歩きの記事になります。
内容は2009年の記事になります。
現在は違うところがあると思います。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて披露します。
東海道歩きの記事は初めて披露します。
本日はちょっと美味しい記事になります。
前回は薩埵峠を通って草薙駅まで歩きました。
いつもの通り大船発6:02の各駅停車静岡行きに乗ります。
この日は「街道名物」目当てに、家内も同行です。
この電車の良い所は、静岡まで乗り換えなしで行けることです。
各駅停車ですが、回送を兼ねているのか、特急用の車両でゆったりと快適に行けます。
8:35草薙駅に着きました。
準備をして8:30頃出発します。
駅横の貨物駅にはこんな石碑がありました。
貨物駅を作る時、旧東海道はなくなってしまったようです。
後ろにコンテナ車が見えます。
貨物ターミナルの下をくぐって行きます。
道幅は狭いのに車は容赦なく走り抜けます。
現在の地図で見ると、この貨物駅はありません。
通り抜けると、古庄というところでした。
広い通り(恐らく国道一号線に出ました。
朝のラッシュ時なので渋滞しています。
市街地に近づいて歩道にはこんな絵が埋め込まれています。
こんな裏道みたいなところもあります。
こんな絵もありました。
静岡は徳川家康が住んでいた駿府城があります。
こんな看板がありましたが、時間の都合で寄り道はしませんでした。
洒落た商店街に入っていきました。
この辺りが府中宿の中心だったと思われます。
札之辻という地名はあちこちにありますね。
静岡名産「わさび漬け」の店が数件ありました。
(ワサビの産地は伊豆の方では???)
突然、赤いのれんの店の前に来ました。
安倍川餅の元祖「石部屋」です。
これは食べていかないと・・
左のお盆の上は緑茶とわさび醤油です。(もちろん生わさび)
右のお盆の上には、きな粉とあんこを絡めたお餅、白いのはわさび醤油を付けて食べます。
その当時、各600円もしました!!!
ここの店のおっさんの接客は?????
安倍川餅で休憩したのち、すぐ近くの安倍川を渡ります。
この店は今でもあるようです(Googleマップより)
前回は薩埵峠を通って草薙駅まで歩きました。
いつもの通り大船発6:02の各駅停車静岡行きに乗ります。
この日は「街道名物」目当てに、家内も同行です。
この電車の良い所は、静岡まで乗り換えなしで行けることです。
各駅停車ですが、回送を兼ねているのか、特急用の車両でゆったりと快適に行けます。
8:35草薙駅に着きました。
準備をして8:30頃出発します。
駅横の貨物駅にはこんな石碑がありました。
貨物駅を作る時、旧東海道はなくなってしまったようです。
後ろにコンテナ車が見えます。
貨物ターミナルの下をくぐって行きます。
道幅は狭いのに車は容赦なく走り抜けます。
現在の地図で見ると、この貨物駅はありません。
通り抜けると、古庄というところでした。
広い通り(恐らく国道一号線に出ました。
朝のラッシュ時なので渋滞しています。
市街地に近づいて歩道にはこんな絵が埋め込まれています。
こんな裏道みたいなところもあります。
こんな絵もありました。
静岡は徳川家康が住んでいた駿府城があります。
こんな看板がありましたが、時間の都合で寄り道はしませんでした。
洒落た商店街に入っていきました。
この辺りが府中宿の中心だったと思われます。
札之辻という地名はあちこちにありますね。
静岡名産「わさび漬け」の店が数件ありました。
(ワサビの産地は伊豆の方では???)
突然、赤いのれんの店の前に来ました。
安倍川餅の元祖「石部屋」です。
これは食べていかないと・・
左のお盆の上は緑茶とわさび醤油です。(もちろん生わさび)
右のお盆の上には、きな粉とあんこを絡めたお餅、白いのはわさび醤油を付けて食べます。
その当時、各600円もしました!!!
ここの店のおっさんの接客は?????
安倍川餅で休憩したのち、すぐ近くの安倍川を渡ります。
この店は今でもあるようです(Googleマップより)
安倍川の鉄橋を渡ります。
広重の府中宿の絵です。
安倍川の渡しの絵です。
駿府の政治の中心だったので府中と名前が付いたとか・・
東京にも府中があるし、広島県にもありますが・・
安倍川の橋を渡ってしばらく進みます。
進んでいくと鞠子宿(丸子宿)に入ります。
屋号の着いた家も見られます。
いよいよ今日の二つ目の目的地に到着しました。
とろろ汁の丁子屋です。
広重の絵にも描かれています。
今でもありますが実際には奥の方に大広間があって、沢山の人が入れます。
(GoogleMapより)
ちょうど13時頃だったので昼食によい時間帯でした。
上半分は宿場丼・・・980円
下半分は丸子定食 13,00
右の皿・むかごの揚げ団子・・400円でした
美味しかったので、その後、数回、家から車で行きました。
昼食後に、JRの安倍川駅まで戻ります。
駅に着きました。
この日の総時間 約4時間
歩行時間 3時間40分
歩行距離 15km
歩数 21、000歩
でした。
安倍川駅で・・・
ここから電車に乗り、大船駅到着は17:40頃でした。
ここまでは基本的には各駅停車の旅で、いつも日帰りでした。
青春18切符の期限が来たので、12月までこの先は一時休止としました。
< 昔の人が歩いたところを行くので、新幹線は使わないと決めていました >
実際に、関西本線の関までは各駅停車で往復しました。
本日もご訪問ありがとうございました。
歩行距離 15km
歩数 21、000歩
でした。
安倍川駅で・・・
ここから電車に乗り、大船駅到着は17:40頃でした。
ここまでは基本的には各駅停車の旅で、いつも日帰りでした。
青春18切符の期限が来たので、12月までこの先は一時休止としました。
< 昔の人が歩いたところを行くので、新幹線は使わないと決めていました >
実際に、関西本線の関までは各駅停車で往復しました。
本日もご訪問ありがとうございました。
東海道歩き旅 (11) 3月4日(木) [東海道歩き(昔の記録)]
気持ちの良い晴天が広がったり、雨が降ったり風が吹いたり、年寄りには堪えます。
昨日は、また病院でした。
今月は、歯医者、眼医者、月末には市大病院の通院があります。
4月には他の病院に2回の通院があります。
中々天気が安定しないのと、病院通いばかりで、普通の記事が出来ません。
また、東海道歩きの記事になります。
一昨日は強風で、昨日の未明はものすごい風でした。
昨日、風はほぼ治まりましたが、夕方からまた冷たい空気になりました。
昨日は、また病院でした。
今月は、歯医者、眼医者、月末には市大病院の通院があります。
4月には他の病院に2回の通院があります。
中々天気が安定しないのと、病院通いばかりで、普通の記事が出来ません。
また、東海道歩きの記事になります。
一昨日は強風で、昨日の未明はものすごい風でした。
昨日、風はほぼ治まりましたが、夕方からまた冷たい空気になりました。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて披露します。
前回の記事で、9月10日で青春18切符が終了となりました。
今回は2009年12月から開始です。
前回は半袖Tシャツでしたが、今回からセーター、防寒の装いです。
いつもの通りの電車ですが、家を出る時にはまだ暗い時でした。
静岡行きの電車なので、静岡で乗り換え、9:10に安倍川駅に到着しました。
この日歩くのはこの辺りです。
険しい山越えが待っています。
安倍川駅から、約30分ほど歩き、丁子屋前まで歩きました。
途中、丸(鞠)子宿の高札場前を通ります。
丁子屋は開店前でした。
丁子屋の前を通り過ぎて、旧東海道を進みます。
丸子紅茶、日本産の紅茶が生まれたところです。
旧道を進んでいくと広い新しい道に出ました。
国道1号線のバイパスで、とても横断できるような道ではありません。
午前10時過ぎ、車の量は多いです。
歩道橋の上から見ました。
左奥には道の駅があります。
その奥に宇津の谷集落があります。
静かな道路に変わりました。
道は二手に分かれます。
左の道を進みます。
軒先にシイタケが干してあります。
宇津の谷の集落を上っていきます。
正面の山を越さねばなりません。
上った所から見た宇津の谷の集落です。
先に進んでいくと、突き当りになり、明治のトンネルと言われるトンネルに入ります。
ここには3つのトンネルがあります。
明治のトンネルは写真のトンネル。
大正のトンネルは旧1号線
昭和のトンネルは現在の1号線の上り線
平成のトンネルは現在の1号線の下り線
もちろん、江戸時代にはトンネルはありませんでした。
トンネルの入り口まで引き返し、旧東海道を進みます。
こんな道になりました。
広重の絵です。
山の深さが感じられます。
しばらく進むと峠のピークに着きました。
階段の上に地蔵堂が立っていました。(鼻取地蔵)
道を下っていくと国道と合流し、1836年に建てられた、旅籠の柏屋。
現在は歴史博物館となっています。
岡部宿の中心地に入っていきます。
旧宿場らしい雰囲気の道になってきました。
各家には、屋号の看板がかかっています。
こんなのもありました。
松並木の通りになりました。
この辺りまで来ると国道やバイパスなどを横切ったりします。
藤枝宿に入っていきますが、商店街です。
水守地区にある須賀神社の楠、見事な巨木でした。
時間も余裕があったので、途中にあった蓮華寺池に寄ってみました。
駅は近いです。
藤枝宿の中心になりました。
駐車場の看板にも広重の絵が・・
広重の絵(人馬継立)・・宿場で荷物の積換え、馬の乗り換えをしているところです。
勝草橋でこの日の予定は終了しました。
この日は初めて宿泊を伴った旅でした。
もう少し進んで、青木橋という交差点から、駅近くのホテルに向かいました。
この日の総時間 6時間18分
歩行時間 4時間33分
歩行距離 20.6km
歩数 約25,000歩
・
久しぶりの街道歩きのため時間に余裕を持ったが余裕を取りすぎた。
(冬になったので、早く暗くなる)
前回と違い、今回は旨いものなし。
駅前のホテルの近くでちょっと飲り、早めに寝てしまった。
< 2009年12月16日の東海道歩きでした >
本日もご訪問ありがとうございました。
東海道歩きの記事は初めて披露します。
前回の記事で、9月10日で青春18切符が終了となりました。
今回は2009年12月から開始です。
前回は半袖Tシャツでしたが、今回からセーター、防寒の装いです。
いつもの通りの電車ですが、家を出る時にはまだ暗い時でした。
静岡行きの電車なので、静岡で乗り換え、9:10に安倍川駅に到着しました。
この日歩くのはこの辺りです。
険しい山越えが待っています。
安倍川駅から、約30分ほど歩き、丁子屋前まで歩きました。
途中、丸(鞠)子宿の高札場前を通ります。
丁子屋は開店前でした。
丁子屋の前を通り過ぎて、旧東海道を進みます。
丸子紅茶、日本産の紅茶が生まれたところです。
旧道を進んでいくと広い新しい道に出ました。
国道1号線のバイパスで、とても横断できるような道ではありません。
午前10時過ぎ、車の量は多いです。
歩道橋の上から見ました。
左奥には道の駅があります。
その奥に宇津の谷集落があります。
静かな道路に変わりました。
道は二手に分かれます。
左の道を進みます。
軒先にシイタケが干してあります。
宇津の谷の集落を上っていきます。
正面の山を越さねばなりません。
上った所から見た宇津の谷の集落です。
先に進んでいくと、突き当りになり、明治のトンネルと言われるトンネルに入ります。
ここには3つのトンネルがあります。
明治のトンネルは写真のトンネル。
大正のトンネルは旧1号線
昭和のトンネルは現在の1号線の上り線
平成のトンネルは現在の1号線の下り線
もちろん、江戸時代にはトンネルはありませんでした。
トンネルの入り口まで引き返し、旧東海道を進みます。
こんな道になりました。
広重の絵です。
山の深さが感じられます。
しばらく進むと峠のピークに着きました。
階段の上に地蔵堂が立っていました。(鼻取地蔵)
道を下っていくと国道と合流し、1836年に建てられた、旅籠の柏屋。
現在は歴史博物館となっています。
岡部宿の中心地に入っていきます。
旧宿場らしい雰囲気の道になってきました。
各家には、屋号の看板がかかっています。
こんなのもありました。
松並木の通りになりました。
この辺りまで来ると国道やバイパスなどを横切ったりします。
藤枝宿に入っていきますが、商店街です。
水守地区にある須賀神社の楠、見事な巨木でした。
時間も余裕があったので、途中にあった蓮華寺池に寄ってみました。
駅は近いです。
藤枝宿の中心になりました。
駐車場の看板にも広重の絵が・・
広重の絵(人馬継立)・・宿場で荷物の積換え、馬の乗り換えをしているところです。
勝草橋でこの日の予定は終了しました。
この日は初めて宿泊を伴った旅でした。
もう少し進んで、青木橋という交差点から、駅近くのホテルに向かいました。
この日の総時間 6時間18分
歩行時間 4時間33分
歩行距離 20.6km
歩数 約25,000歩
・
久しぶりの街道歩きのため時間に余裕を持ったが余裕を取りすぎた。
(冬になったので、早く暗くなる)
前回と違い、今回は旨いものなし。
駅前のホテルの近くでちょっと飲り、早めに寝てしまった。
< 2009年12月16日の東海道歩きでした >
本日もご訪問ありがとうございました。
東海道歩き旅 (12) 3月6日(土) [東海道歩き(昔の記録)]
天気は安定しません。
天気予報で言うほど暖かくはありません。
毎日、午後3時ごろになると天気はよくても寒くなります。
・
10年前の東海道歩きは続きます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて披露します。
・
前記事では藤枝宿まで来ました。
前日は初めてホテルに一泊しました。
朝8時ごろにチェックアウトしこの日はスタートしました。
良い天気でしたが、風は冷たい日になりました。
前日の最終地点、青木橋交差点をスタートします。
国道1号線なので車の量が増え始める頃でした。
やがて松並木の通りになってきました。
追分の案内があるが何処へ行く道かわかりません。
いかにも街道歩きらしい道になってきました。
大きな造り酒屋がありました。
「喜久酔」という酒らしいですが、私は歩き旅、荷物が重くなるので買って歩くわけにはいきません。
松並木の街道が続きます。
一里塚の道標が立っています。
この辺りはお茶の産地、出荷のトラックに積み込み中です。
歩いているうちに島田宿に入りました。
島田宿跡は、現在は商店街となっています。
歩道の敷石にはこんな絵がありました。
島田には帯まつりという大きな祭りがあるそうです。
「元禄年間に始まった、大井神社のお祭りで、3年に一度開催されます。
島田に嫁いだ女性が氏子になった報告と安産祈願をします。
晴れ着で街中を披露したのが、やがて持参の帯を、大奴に託し披露するようになりました」
島田宿の一里塚の跡
島田宿の問屋場跡の石碑がありました。
和菓子屋さんもいくつかあります。
清水屋というお菓子屋さんを覗いてみました。
このお菓子屋さんには、「小饅頭」というお菓子を売っていました。
この饅頭は、松江藩の松平不昧公がこの地を通った時、
小さくして一口で食べられるようにした方が良いと言ったとか。
当時、松江藩の7代目藩主だったと思われます。
松江は、私の故郷です。
松江では不昧流という流派(抹茶)が有名です
これは持ち帰り可能なので、一箱買いました。
帯祭りが行われる、大井神社の前を通ります。
やがて道は市街地から離れます。
大井川の渡しの絵です。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
古民家のような家がありました。
お殿様が乗る駕篭でしょう。
立派なものですね。
川の水位によって値段が変わるようです。
この他に、駕篭、蓮台、肩車などにより値段が違います。
見学をして外に出ます。
新しく博物館が出来ていました。
川の方に進みます。
大井川は広いです。
水位が上がると時々川止めと言ってどちらかの岸で待機することになります。
広重の絵です。
私はこの橋を歩いて渡ります。
この橋は昭和3年に完成しました。
金谷側から見た橋です。
渡るのに、歩いて15分かかりました。
金谷の渡し場の通りです。
こんな案内もありました。
島田側と違い何もありません。
こんな看板があります。
金谷宿はこんなに長かったのですね。
金谷側の広重の絵です。
進んでゆくと、金谷の一里塚跡の道標がたっていました。
ここから金谷駅はすぐです。
この日はここで終了です。(12:30頃)
総時間 4時間19分
歩行時間 3時間13分
歩行距離13.6km
天気予報で言うほど暖かくはありません。
毎日、午後3時ごろになると天気はよくても寒くなります。
・
10年前の東海道歩きは続きます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて披露します。
・
前記事では藤枝宿まで来ました。
前日は初めてホテルに一泊しました。
朝8時ごろにチェックアウトしこの日はスタートしました。
良い天気でしたが、風は冷たい日になりました。
前日の最終地点、青木橋交差点をスタートします。
国道1号線なので車の量が増え始める頃でした。
やがて松並木の通りになってきました。
追分の案内があるが何処へ行く道かわかりません。
いかにも街道歩きらしい道になってきました。
大きな造り酒屋がありました。
「喜久酔」という酒らしいですが、私は歩き旅、荷物が重くなるので買って歩くわけにはいきません。
松並木の街道が続きます。
一里塚の道標が立っています。
この辺りはお茶の産地、出荷のトラックに積み込み中です。
歩いているうちに島田宿に入りました。
島田宿跡は、現在は商店街となっています。
歩道の敷石にはこんな絵がありました。
島田には帯まつりという大きな祭りがあるそうです。
「元禄年間に始まった、大井神社のお祭りで、3年に一度開催されます。
島田に嫁いだ女性が氏子になった報告と安産祈願をします。
晴れ着で街中を披露したのが、やがて持参の帯を、大奴に託し披露するようになりました」
島田宿の一里塚の跡
島田宿の問屋場跡の石碑がありました。
和菓子屋さんもいくつかあります。
清水屋というお菓子屋さんを覗いてみました。
このお菓子屋さんには、「小饅頭」というお菓子を売っていました。
この饅頭は、松江藩の松平不昧公がこの地を通った時、
小さくして一口で食べられるようにした方が良いと言ったとか。
当時、松江藩の7代目藩主だったと思われます。
松江は、私の故郷です。
松江では不昧流という流派(抹茶)が有名です
これは持ち帰り可能なので、一箱買いました。
帯祭りが行われる、大井神社の前を通ります。
やがて道は市街地から離れます。
大井川の渡しの絵です。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
古民家のような家がありました。
お殿様が乗る駕篭でしょう。
立派なものですね。
川の水位によって値段が変わるようです。
この他に、駕篭、蓮台、肩車などにより値段が違います。
見学をして外に出ます。
新しく博物館が出来ていました。
川の方に進みます。
大井川は広いです。
水位が上がると時々川止めと言ってどちらかの岸で待機することになります。
広重の絵です。
私はこの橋を歩いて渡ります。
この橋は昭和3年に完成しました。
金谷側から見た橋です。
渡るのに、歩いて15分かかりました。
金谷の渡し場の通りです。
こんな案内もありました。
島田側と違い何もありません。
こんな看板があります。
金谷宿はこんなに長かったのですね。
金谷側の広重の絵です。
進んでゆくと、金谷の一里塚跡の道標がたっていました。
ここから金谷駅はすぐです。
この日はここで終了です。(12:30頃)
総時間 4時間19分
歩行時間 3時間13分
歩行距離13.6km
歩数 30,700歩
金谷から電車で静岡、三島、熱海で乗り換え。
大船着 16時頃でした。
・
島田で買った小饅頭、こんな饅頭でした。
小さな酒まんじゅうのような感じでした。
本日もご訪問ありがとうございました。
金谷から電車で静岡、三島、熱海で乗り換え。
大船着 16時頃でした。
・
島田で買った小饅頭、こんな饅頭でした。
小さな酒まんじゅうのような感じでした。
本日もご訪問ありがとうございました。
東海道歩き旅 13の1 3月9日(火) [東海道歩き(昔の記録)]
このところ天気予報は、外れっぱなしです。
「8日からは冬が終わります」と言っていた昨日の天気、朝から弱い雨で気温も低い一日でした。
散歩に出るどころか、また閉じこもりの一日でした。
・
10年前の東海道歩きは続きます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて公開します。
前記事では大井川を渡って、金谷駅まで歩きました。
(2009年12月17日)
年も変わって2010年になり、東海道歩き旅も2年目に入りました。
新年になり、まだ正月気分も抜けていない、1月18日に出発しました。
今回は2泊の予定です。
乗りなれたいつもの電車に乗りました。(特急用の快適な車両)
大船駅で何とか座れたものの、藤沢では通路に立つ人が出てきました。
小田原でかなりの人が下車しやっと余裕のある車内になりました。
大船駅で買ったサンドイッチで朝食にしました。
沼津を過ぎると右手に富士山が見えてきました。
静岡で乗り換えて、金谷駅に9時18分に到着しました。
今回はこの辺りを歩きます。
9:30頃出発します。
いきなり急な坂が始まりました。
どんどん上っていきます。
周辺の案内板がありました。
石畳の道が始まりました。
金谷坂の始まりです。
この石畳は町民の協力で復元されました。
気持ちの良い道です。
石畳の途中に地蔵堂がありました。
別名「すべらず地蔵」というそうです。
「すべらず地蔵」のいわれは、ここの石畳は「すべらない」と言う
「8日からは冬が終わります」と言っていた昨日の天気、朝から弱い雨で気温も低い一日でした。
散歩に出るどころか、また閉じこもりの一日でした。
・
10年前の東海道歩きは続きます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて公開します。
前記事では大井川を渡って、金谷駅まで歩きました。
(2009年12月17日)
年も変わって2010年になり、東海道歩き旅も2年目に入りました。
新年になり、まだ正月気分も抜けていない、1月18日に出発しました。
今回は2泊の予定です。
乗りなれたいつもの電車に乗りました。(特急用の快適な車両)
大船駅で何とか座れたものの、藤沢では通路に立つ人が出てきました。
小田原でかなりの人が下車しやっと余裕のある車内になりました。
大船駅で買ったサンドイッチで朝食にしました。
沼津を過ぎると右手に富士山が見えてきました。
静岡で乗り換えて、金谷駅に9時18分に到着しました。
今回はこの辺りを歩きます。
9:30頃出発します。
いきなり急な坂が始まりました。
どんどん上っていきます。
周辺の案内板がありました。
石畳の道が始まりました。
金谷坂の始まりです。
この石畳は町民の協力で復元されました。
気持ちの良い道です。
石畳の途中に地蔵堂がありました。
別名「すべらず地蔵」というそうです。
このお地蔵様・六角堂・鞘堂は町民の手で据えられたものです。
「すべらず地蔵」のいわれは、ここの石畳は「すべらない」と言う
理由で、受験や商売など、何事も願いが叶うというとのこと。
(そばにあった案内板)
時節柄(1月)合格祈願の絵馬が沢山ありました。
金谷駅からずっと上り坂が続いていましたが、急に開けた場所に出ました。
温暖な地域、気持ちの良い旅になりました。
一面に広がる茶畑です。
この時期はまだ1月、茶摘みはまだでしょう。
この地で「諏訪」というのは?
調べてみると、武田信玄の息子の武田勝頼が築いた城である。
東海道新幹線に乗っていると、車窓から見えるはずです。
この山は「栗が岳」と言います。
石畳の下り初めのところにログハウスの喫茶店がありました。
茶畑の中の喫茶店?? この時10時頃ですが、コーヒータイムにしました。
時節柄(1月)合格祈願の絵馬が沢山ありました。
金谷駅からずっと上り坂が続いていましたが、急に開けた場所に出ました。
温暖な地域、気持ちの良い旅になりました。
一面に広がる茶畑です。
この時期はまだ1月、茶摘みはまだでしょう。
しばらく行くと諏訪原城跡の案内がありました。
この地で「諏訪」というのは?
調べてみると、武田信玄の息子の武田勝頼が築いた城である。
後に、徳川軍勢に滅ぼされ、牧野城と改名されたとのこと
遠くの山肌に「茶」の文字が見えました。
遠くの山肌に「茶」の文字が見えました。
東海道新幹線に乗っていると、車窓から見えるはずです。
この山は「栗が岳」と言います。
石畳の下り初めのところにログハウスの喫茶店がありました。
茶畑の中の喫茶店?? この時10時頃ですが、コーヒータイムにしました。
中でお話を聞くと、ここから下っていき、その先にまた急な上り坂があるという事でした。
20分ほど休憩しました。
下っていきます。
こちらは菊川坂なんでしょう。
石畳の路面は、非常に歩きづらいです。
足を挫きそうになるので、注意が必要です。
菊川の集落まで下りてきました。
このの記事は(袋井まで)続くので、3回に分けます。
次回に続きます。
2010年1月18日(月)の午前中の記事でした。
本日もご訪問ありがとうございました。
< 追記 >
2月21日にe-tax送信した確定申告、還付金は3月5日に振り込まれていました。
20分ほど休憩しました。
下っていきます。
こちらは菊川坂なんでしょう。
石畳の路面は、非常に歩きづらいです。
足を挫きそうになるので、注意が必要です。
菊川の集落まで下りてきました。
このの記事は(袋井まで)続くので、3回に分けます。
次回に続きます。
2010年1月18日(月)の午前中の記事でした。
本日もご訪問ありがとうございました。
< 追記 >
2月21日にe-tax送信した確定申告、還付金は3月5日に振り込まれていました。
東海道歩き旅 13の2 3月12日(金) [東海道歩き(昔の記録)]
朝晩はまだ冷えますが、昼間の気温は高くなり、ホッとする天気になりました。
あと1週間ぐらいでソメイヨシノの開花宣言が予想されています。
やれやれです。
ハクモクレン、ユキヤナギ、この時期の花があちこちに咲くようになりました。
今週は病院通いが続きました。
歯科、眼科の定期健診、近くの大きな病院のお泌尿器科の3か月1回の検査。
今日からしばらくは、病院通いはありません。
昨日は3か月に半年に1回の泌尿器科の検査でした。
約10年前に発症した、前立腺がんの腫瘍マーカー(PSA)は約0.178でした。
ほぼ完治(?)です。
(そのほかの病気は沢山ありますが・・・)
病院は比較的空いていて、昼前には帰宅できました。
暖かくなったので、少しは近所の散歩でも出来るのではと思っています。
今日からは天気が良くありませんし、体調がまだ戻りません。
・
10年前の東海道歩き旅を続けます。
あと1週間ぐらいでソメイヨシノの開花宣言が予想されています。
やれやれです。
ハクモクレン、ユキヤナギ、この時期の花があちこちに咲くようになりました。
今週は病院通いが続きました。
歯科、眼科の定期健診、近くの大きな病院のお泌尿器科の3か月1回の検査。
今日からしばらくは、病院通いはありません。
昨日は3か月に半年に1回の泌尿器科の検査でした。
約10年前に発症した、前立腺がんの腫瘍マーカー(PSA)は約0.178でした。
ほぼ完治(?)です。
(そのほかの病気は沢山ありますが・・・)
病院は比較的空いていて、昼前には帰宅できました。
暖かくなったので、少しは近所の散歩でも出来るのではと思っています。
今日からは天気が良くありませんし、体調がまだ戻りません。
・
10年前の東海道歩き旅を続けます。
10年前の東海道歩きは続きます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて公開します。
まだ正月気分が抜けきらない、2010年1月の事です。
前記事に、丸い石がゴロゴロした石畳の道を紹介しました。
その道は、平成になってから復元された石畳です。
こちらは江戸時代後期の元の石畳です。
この坂を下っていくと、「菊川」です。
間の宿は宿場との間が長い所に設けられました。
中山道にもいくつかありました。
菊川の街に入って行きました。
これは何屋さんでしょう。
上り坂の入り口に来ました。
急な坂道になりました。
粟が岳の姿も見えます。
< 前回の記事で栗が岳と記載しましたが、粟が岳(あわがたけ)画正解です>
高い所なので水遣りも大変でしょう。
こんなスプリンクラー各所に設置されています。
お寺の前に来ました。
「久延寺(きゅうえんじ)」というお寺です、
山内一豊が境内に茶室を設け、関ヶ原に向かう家康をもてなしたとか・・
すぐ近くに、「子育て飴」という看板がありました。
今でもあるようですが、水飴のようなものらしいです。
夜泣き石の跡の石碑があります。
まだ正月気分が抜けきらない、2010年1月の事です。
前記事に、丸い石がゴロゴロした石畳の道を紹介しました。
その道は、平成になってから復元された石畳です。
こちらは江戸時代後期の元の石畳です。
この坂を下っていくと、「菊川」です。
間の宿は宿場との間が長い所に設けられました。
中山道にもいくつかありました。
菊川の街に入って行きました。
これは何屋さんでしょう。
上り坂の入り口に来ました。
急な坂道になりました。
粟が岳の姿も見えます。
< 前回の記事で栗が岳と記載しましたが、粟が岳(あわがたけ)画正解です>
高い所なので水遣りも大変でしょう。
こんなスプリンクラー各所に設置されています。
お寺の前に来ました。
「久延寺(きゅうえんじ)」というお寺です、
山内一豊が境内に茶室を設け、関ヶ原に向かう家康をもてなしたとか・・
すぐ近くに、「子育て飴」という看板がありました。
今でもあるようですが、水飴のようなものらしいです。
夜泣き石の跡の石碑があります。
小夜の中山には、「夜泣き石」伝説が残されています。
久延寺に安産祈願にきた妊婦が中山峠を越える途中、山賊に襲われて殺されました。
お腹の切り口から生まれた赤ん坊を助けるため、母の魂はかたわらの石にのり移って泣きました。
お寺のお坊さんに拾われた赤ん坊は、お乳の代わりに水飴を与えられ、大事に育てられました。
その子供は立派に成長し、母の仇を討ったと云われています。
夜泣き石は現在小夜の中山トンネル脇に据えられているそうです。
山道を下ります。
粟が岳が見えます。
車でも行けるそうですが、道が狭く、徒歩で上る人が多いそうです。
標高532mの山です。
「茶」の文字は、茶畑のようなものでなく、そこそこの成木だそうです。
横の林の隙間から特に雪をかぶった山が・・
おそらく御嶽山ではないかと思いますが、確かめていません。
広重の絵碑がありました。
ところが私が調べた東海道五十三次の広重の絵は・・・・!
小夜の中山
この違いは何でしょう?
道はどんどん下っていきます。
ここは石畳ではないので、速足で歩けます。
下ったところに日坂(にっさか)宿があります。
日坂宿の本陣跡ですが、中は幼稚園の様でした。
川坂屋という旅籠ですが、脇本陣と同様な格式のある旅籠だったようです。
宿場の中心にある高札場の復元です。
峠越えの荷物運びの値段などが書いてあります。
ちょうどお昼ごろでしたが、朝からほとんど食べていません。
食べるところもありません。
そのまま進むとやっとコンビニが見つかり、おにぎりで昼食にしました。
(13時頃)
その子供は立派に成長し、母の仇を討ったと云われています。
夜泣き石は現在小夜の中山トンネル脇に据えられているそうです。
山道を下ります。
粟が岳が見えます。
車でも行けるそうですが、道が狭く、徒歩で上る人が多いそうです。
標高532mの山です。
「茶」の文字は、茶畑のようなものでなく、そこそこの成木だそうです。
横の林の隙間から特に雪をかぶった山が・・
おそらく御嶽山ではないかと思いますが、確かめていません。
広重の絵碑がありました。
ところが私が調べた東海道五十三次の広重の絵は・・・・!
小夜の中山
この違いは何でしょう?
道はどんどん下っていきます。
ここは石畳ではないので、速足で歩けます。
下ったところに日坂(にっさか)宿があります。
日坂宿の本陣跡ですが、中は幼稚園の様でした。
川坂屋という旅籠ですが、脇本陣と同様な格式のある旅籠だったようです。
宿場の中心にある高札場の復元です。
峠越えの荷物運びの値段などが書いてあります。
ちょうどお昼ごろでしたが、朝からほとんど食べていません。
食べるところもありません。
そのまま進むとやっとコンビニが見つかり、おにぎりで昼食にしました。
(13時頃)
2010年1月18日(月)の午前中の記事でした。
本日もご訪問ありがとうございました。
本日もご訪問ありがとうございました。
東海道 歩き旅 13の3 3月15日(月) [東海道歩き(昔の記録)]
3月も半分過ぎました。
かなり暖かくなってきました。
一昨日(13日の土曜日)は午後を中心に、春雷、大雨と大荒れの天気でした。
昨日は晴天で、東京ではいよいよ桜の開花が始まりました。
朝から晴れ渡った青空でした。
こんな綺麗な富士山も今冬最後でしょう。
10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
かなり暖かくなってきました。
一昨日(13日の土曜日)は午後を中心に、春雷、大雨と大荒れの天気でした。
昨日は晴天で、東京ではいよいよ桜の開花が始まりました。
朝から晴れ渡った青空でした。
こんな綺麗な富士山も今冬最後でしょう。
10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて公開します。
日坂宿を通過して、掛川方面に向かいます
伊達方一里塚跡の石柱が立って居ます。
ひたすら国道1号線を掛川方面に向かいます。
少し市街地に近くなってきました。
こんな道標がありました。
総時間 7時間24分
歩行時間 6時間19分
歩行距離 24.5km
歩数 42,500歩
2010年1月18日(約10年前)の東海道歩きでした。
本日もご訪問ありがとうございました。
日坂宿を通過して、掛川方面に向かいます
伊達方一里塚跡の石柱が立って居ます。
ひたすら国道1号線を掛川方面に向かいます。
少し市街地に近くなってきました。
こんな道標がありました。
[大龍頭権現福天大権現参道標]掛川市成滝
成滝道標から800mほど西の、掛川農協西山口支所の脇に大龍頭権現福天大権現参道標が残されています。
この参道標は古くからこの位置にあったものではなく、
元の位置はここから10mほど東にあり、川崎街道起点に置かれていたと、立て札に記されています。
川崎街道とは、掛川宿と縁の深い川崎湊(現静波町)に続く道のことです。
広重の絵です。
左側から来る僧侶にお辞儀をしている様子です。
葛川の一里塚の跡です。
この辺りから、七曲という路地に入ります。
城下町には、掛川宿にこだわらずこんな曲がり角の路地があります。
防火用と人の出入りを監視するために設けられました。
この地方では、秋葉山(秋葉寺(しゅうようじ)とその守護神・三尺坊大権現)が火防の神として有名です江戸時代に入ってから、秋葉山は庶民だけではなく、武士の間にも信者を得ていました。
秋葉山常夜灯は各所に立っています。
七曲の道を抜けると、宿場のメインの通りに入ります。
何処にでもあるような、市街地です。
掛川では大きなお祭りがあるようです。
これが銀行??? セキュリティは大丈夫なんでしょうか?
掛川城が見えていました。
藩主だった、山内一豊が有名です。
道は市街地を離れ、掛川の郊外に変わっていきます。
一度、国道から離れ、閑静な住宅街を通ります。
再び、国道1号線に合流します。
バイパスがあるので車の量はそれほど多くはありません。
また松並木が出てきました。
緑があるとホッとします。
間の宿、原川を通過します。
松並木の説明版です。
歩道はありませんが、路肩が広いので歩き易いです。
こちらは北野天満宮ですが、何かお寺のような感じです。
大きな常夜灯が二つ並んでいます
一里塚跡です。
一里塚の説明です。
いきなり小学校の前に出ました。
「東海道五十三次」どまん中東小学校の看板がかかっています。
正式名称はこちらでしょう。
かなり薄暗くなってきました。
もうすぐ袋井の街です。
道路沿いにこんな小屋がありました。
観光案内所の様です。
広重の絵にもお茶屋がいくつか並んでいます。
外から写真を撮っていると中から人が出てきて、「中で休んで行け」と誘われました。
お茶とミカンを頂きました。
ちょっとだけ休憩し、この日の最後の数百メートルを歩きました。
袋井宿本陣跡・・と言ってもこの門しかありません。
この公園でこの日の最後にしました。
駅に向かう途中に日没になりました。
この日は、袋井で泊まるつもりでしたが、次の磐田で泊まることにしました。
++++++++++++++++++++++++
この日のメモより
この参道標は古くからこの位置にあったものではなく、
元の位置はここから10mほど東にあり、川崎街道起点に置かれていたと、立て札に記されています。
川崎街道とは、掛川宿と縁の深い川崎湊(現静波町)に続く道のことです。
広重の絵です。
左側から来る僧侶にお辞儀をしている様子です。
葛川の一里塚の跡です。
この辺りから、七曲という路地に入ります。
城下町には、掛川宿にこだわらずこんな曲がり角の路地があります。
防火用と人の出入りを監視するために設けられました。
この地方では、秋葉山(秋葉寺(しゅうようじ)とその守護神・三尺坊大権現)が火防の神として有名です江戸時代に入ってから、秋葉山は庶民だけではなく、武士の間にも信者を得ていました。
秋葉山常夜灯は各所に立っています。
七曲の道を抜けると、宿場のメインの通りに入ります。
何処にでもあるような、市街地です。
掛川では大きなお祭りがあるようです。
これが銀行??? セキュリティは大丈夫なんでしょうか?
掛川城が見えていました。
藩主だった、山内一豊が有名です。
道は市街地を離れ、掛川の郊外に変わっていきます。
一度、国道から離れ、閑静な住宅街を通ります。
再び、国道1号線に合流します。
バイパスがあるので車の量はそれほど多くはありません。
また松並木が出てきました。
緑があるとホッとします。
間の宿、原川を通過します。
松並木の説明版です。
歩道はありませんが、路肩が広いので歩き易いです。
こちらは北野天満宮ですが、何かお寺のような感じです。
大きな常夜灯が二つ並んでいます
一里塚跡です。
一里塚の説明です。
いきなり小学校の前に出ました。
「東海道五十三次」どまん中東小学校の看板がかかっています。
正式名称はこちらでしょう。
かなり薄暗くなってきました。
もうすぐ袋井の街です。
道路沿いにこんな小屋がありました。
観光案内所の様です。
広重の絵にもお茶屋がいくつか並んでいます。
外から写真を撮っていると中から人が出てきて、「中で休んで行け」と誘われました。
お茶とミカンを頂きました。
ちょっとだけ休憩し、この日の最後の数百メートルを歩きました。
袋井宿本陣跡・・と言ってもこの門しかありません。
この公園でこの日の最後にしました。
駅に向かう途中に日没になりました。
この日は、袋井で泊まるつもりでしたが、次の磐田で泊まることにしました。
++++++++++++++++++++++++
この日のメモより
・気持ちの良い天気ではあったけど、前半の二つの峠は予想以上に厳しいコースでした
・また道を間違えてしまった。注意が肝心
・袋井は街を上げての「東海道五十三次どまん中」
・今までかなり進んだと思っていたが、やっと半分終わったところです。
・袋井は食事をするところがなく磐田駅に移動しました
・磐田駅近くの焼き鳥屋で夕食にしました。
・隣の陽気な若者、店のなじみの客、店の主人などと,盛り上がって、楽しい夕食になりました。
・
東海道ど真ん中はここです。
東海道道中記はまだ半分です。
・隣の陽気な若者、店のなじみの客、店の主人などと,盛り上がって、楽しい夕食になりました。
・
東海道ど真ん中はここです。
東海道道中記はまだ半分です。
歩行時間 6時間19分
歩行距離 24.5km
歩数 42,500歩
2010年1月18日(約10年前)の東海道歩きでした。
本日もご訪問ありがとうございました。
やっと春が来ました 3月18日(木) [フォト散歩]
しばらく東海道歩きの記事が続きました。
・
まだまだ朝晩は寒いですが、日差しがあるところは暖かい日が続いています。
横浜でも昨日桜の開花宣言がありました。
とは言え、近所の桜はほとんど花は見えません。
今週末、日曜日は、又雨の日になりそうです。
でも月曜日からは晴れの日が続きそうで、桜の花も楽しめるでしょう。
・
今週の月曜日(3月15日)の写真です。
3月5日の夜明け前の写真です。
最近は朝5時ごろには夜明けの空になります。
先週末、台風のような天気で、モクレンは散ってしまいました。
代わりに、辛夷の花が一斉に咲き始めました。
16時頃、軽く近所の散歩をしました。
建物が写ってしまうので全景は分かりませんが、大きな木です。
辛夷の花は満開に近いぐらいでした。
モクレンと同様、咲き始めは白い花は、清楚な感じです。
背景が白もいい感じですね。
足元が斜めで、こんな構図しかできませんでした。
やはり、青空がバックの方が映えます。
ちょっと見づらいかもしれませんが、ドウダンの白い小さな花が咲き始めています。
花壇の一角にラッパスイセンが咲いています。
10日前まではまだつぼみでしたが、みんな一斉に咲き始めました。
この黄色は華やかですね。
ユキヤナギも今が一番盛りです。
金木犀の枝からも新芽が出てきました。
今年の秋も良い香りを届けてくれるでしょう。
紫陽花の切り株から、新しい葉が出てきました。
花が咲くにはまだかなり先ですが、紫陽花も今年は早いでしょうか。
やっと冬のトンネルから抜け出したようなこの2、3日です。
そして、我が家のベランダは、昨年植えたチューリップの球根。
つぼみが大きくなりました。
(これは白)
これは明日頃には咲きそうです。
(これは赤)
(昨日見たらもう少し大きくなっていました)
フリージアは何時まで経っても花が咲きません。
もう少し待ってみましょう。
・
・
まだまだ朝晩は寒いですが、日差しがあるところは暖かい日が続いています。
横浜でも昨日桜の開花宣言がありました。
とは言え、近所の桜はほとんど花は見えません。
今週末、日曜日は、又雨の日になりそうです。
でも月曜日からは晴れの日が続きそうで、桜の花も楽しめるでしょう。
・
今週の月曜日(3月15日)の写真です。
3月5日の夜明け前の写真です。
最近は朝5時ごろには夜明けの空になります。
先週末、台風のような天気で、モクレンは散ってしまいました。
代わりに、辛夷の花が一斉に咲き始めました。
16時頃、軽く近所の散歩をしました。
建物が写ってしまうので全景は分かりませんが、大きな木です。
辛夷の花は満開に近いぐらいでした。
モクレンと同様、咲き始めは白い花は、清楚な感じです。
背景が白もいい感じですね。
足元が斜めで、こんな構図しかできませんでした。
やはり、青空がバックの方が映えます。
ちょっと見づらいかもしれませんが、ドウダンの白い小さな花が咲き始めています。
花壇の一角にラッパスイセンが咲いています。
10日前まではまだつぼみでしたが、みんな一斉に咲き始めました。
この黄色は華やかですね。
ユキヤナギも今が一番盛りです。
金木犀の枝からも新芽が出てきました。
今年の秋も良い香りを届けてくれるでしょう。
紫陽花の切り株から、新しい葉が出てきました。
花が咲くにはまだかなり先ですが、紫陽花も今年は早いでしょうか。
やっと冬のトンネルから抜け出したようなこの2、3日です。
そして、我が家のベランダは、昨年植えたチューリップの球根。
つぼみが大きくなりました。
(これは白)
これは明日頃には咲きそうです。
(これは赤)
(昨日見たらもう少し大きくなっていました)
フリージアは何時まで経っても花が咲きません。
もう少し待ってみましょう。
・
Z6Ⅱ
NIKKOR Z 24-70mm
AF-S Mirco NIKKOR 60mmf2.8G ED
FTZ
本日もご訪問ありがとうございました。
次回は東海道歩きの続きです。
AF-S Mirco NIKKOR 60mmf2.8G ED
FTZ
本日もご訪問ありがとうございました。
次回は東海道歩きの続きです。
東海道 歩き旅 14の1 3月21日(日) [東海道歩き(昔の記録)]
しばらく晴天、暖かい日が続きました。
今日は雨が降り、荒天の予想です。
我が家の近所には大きな霊園があり、昨日は渋滞が起きていたようです。
彼岸の中日頃にはダイヤモンド富士が見えますが、今年は無理でしょう。
前記事には開きかけたチューリップを掲載しましたが、一昨日に開き始めました。
フリージアのつぼみはもう少しでしょうか??
+++++++++++++++++++++
東海道歩きの続きです。
今日は雨が降り、荒天の予想です。
我が家の近所には大きな霊園があり、昨日は渋滞が起きていたようです。
彼岸の中日頃にはダイヤモンド富士が見えますが、今年は無理でしょう。
前記事には開きかけたチューリップを掲載しましたが、一昨日に開き始めました。
フリージアのつぼみはもう少しでしょうか??
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東海道歩きの続きです。
10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて公開します。
前日は金谷から、袋井まで歩きました。
泊まるところの都合で、磐田に泊りました。
朝、8時前に袋井駅まで戻りました。
前日の終了地点の宿場公園まで歩き、出発です。(8:04)
付近の名所案内があります。
前日、袋井に着いた時見たのは、「東海道どまんなか東小学校」でしたが・
こちらは「東海道どまんなか西小学校」です。
正式名称はこちらです。
道は磐田の方に向かって進みます。
こんな絵が店のシャッターに書いてあります。
こんな絵は開店前でないと見ることはできません。
道は市街地を離れて郊外に向かって進みます。
こんなところは、ほとんどの場合、右側のような細い道が旧道です。
一里塚(復元)がありました。
木原一里塚、江戸から61里目です。
このあたりは武田軍勢と徳川軍勢が戦ったところで木原畷と言います。
松並木のの道を進みます。
小さな山があり、山の中の道に入って行きます。
足元を見ると、こんな石碑が・・
山賊でも出そうな道です。
この辺りも古戦場だった様です。
道は山からでて住宅街に入りました。
突然、こんな看板が立っています。
品川の刑場と同じ「鈴ヶ森」という名前がついています。
道は街中に入ります。
この建物は農協です。
9時半ごろ、近くにあったマクドナルドで軽い朝食とコーヒー。
さらに進むと、白い建物がありました。
明治8年に立てられた旧見附小学校
(日本最古の洋風木造建築校舎)
見附宿と言っても、あまり知られていない地名ですね。
(赤坂見附は有名ですが・・・)
見附宿は本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠五56軒の宿場だったようです。
昔の建物などは残っていません。
西からきて初めて富士山が見えるところだったそうです。
広重の絵
当時(10年前)ジュビロ磐田が人気だったと記憶しています。
歩道に埋め込まれた、足型。
昨晩泊まった磐田駅付近に着きました。
駅には向かわずに、浜松方面に進みます。
前日は金谷から、袋井まで歩きました。
泊まるところの都合で、磐田に泊りました。
朝、8時前に袋井駅まで戻りました。
前日の終了地点の宿場公園まで歩き、出発です。(8:04)
付近の名所案内があります。
前日、袋井に着いた時見たのは、「東海道どまんなか東小学校」でしたが・
こちらは「東海道どまんなか西小学校」です。
正式名称はこちらです。
道は磐田の方に向かって進みます。
こんな絵が店のシャッターに書いてあります。
こんな絵は開店前でないと見ることはできません。
道は市街地を離れて郊外に向かって進みます。
こんなところは、ほとんどの場合、右側のような細い道が旧道です。
一里塚(復元)がありました。
木原一里塚、江戸から61里目です。
このあたりは武田軍勢と徳川軍勢が戦ったところで木原畷と言います。
松並木のの道を進みます。
小さな山があり、山の中の道に入って行きます。
足元を見ると、こんな石碑が・・
山賊でも出そうな道です。
この辺りも古戦場だった様です。
道は山からでて住宅街に入りました。
突然、こんな看板が立っています。
品川の刑場と同じ「鈴ヶ森」という名前がついています。
道は街中に入ります。
この建物は農協です。
9時半ごろ、近くにあったマクドナルドで軽い朝食とコーヒー。
さらに進むと、白い建物がありました。
明治8年に立てられた旧見附小学校
(日本最古の洋風木造建築校舎)
見附宿と言っても、あまり知られていない地名ですね。
(赤坂見附は有名ですが・・・)
見附宿は本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠五56軒の宿場だったようです。
昔の建物などは残っていません。
西からきて初めて富士山が見えるところだったそうです。
広重の絵
当時(10年前)ジュビロ磐田が人気だったと記憶しています。
歩道に埋め込まれた、足型。
昨晩泊まった磐田駅付近に着きました。
駅には向かわずに、浜松方面に進みます。
宮之一色秋葉常夜灯がありました。
むき出しの灯篭ではなく風除けの囲いがけしてあります。
上部の格子の隙間から明かりが見える様になっています。
軒下には竜の彫り物があり立派なもでした。
国道1号線から離れて左の道に行きます。
長森の立て場に着きました。
「長森のかうやく」
ここでは切り傷、あかぎれに効く膏薬を作っていました。
11:47
天竜川橋の近くまで来ました。
昔は橋なんかないので、当然「渡し」に乗ることになります。
渡船場は約1.2Kmもっと上流にありますが、ここは見ずに先へ進みます
現在、ここには3本の橋が架かっています。
一番下流側が昭和8年に出来た橋で、片道1車線(歩道なし)
真ん中の橋が4車線の下り専用の橋で歩道が付いています。
上流側が4車線の上り専用の橋です
真ん中の橋が出来たのが2006年秋ごろなので、それ以前は
歩いてこの橋を渡るには大変だったらしい。
他の人の東海道歩きの記録を見ると、下流の橋(写真の左側の橋)を恐る恐る
渡ったとか(1mぐらいの路側帯)を歩いた、
タクシーを呼んで橋を渡ったなどさまざまです。
今は安心して渡れます。
これは歩道です。
大井川と同様、長い橋で10分ぐらいかかりました。
本日もご訪問ありがとうございました。
次は、浜松市内に入ります。
・
昨夕、東北地方でまた地震がありました。
津波はなかったようですが、結構揺れたようです
ご注意ください。
軒下には竜の彫り物があり立派なもでした。
国道1号線から離れて左の道に行きます。
長森の立て場に着きました。
「長森のかうやく」
ここでは切り傷、あかぎれに効く膏薬を作っていました。
11:47
天竜川橋の近くまで来ました。
昔は橋なんかないので、当然「渡し」に乗ることになります。
渡船場は約1.2Kmもっと上流にありますが、ここは見ずに先へ進みます
現在、ここには3本の橋が架かっています。
一番下流側が昭和8年に出来た橋で、片道1車線(歩道なし)
真ん中の橋が4車線の下り専用の橋で歩道が付いています。
上流側が4車線の上り専用の橋です
真ん中の橋が出来たのが2006年秋ごろなので、それ以前は
歩いてこの橋を渡るには大変だったらしい。
他の人の東海道歩きの記録を見ると、下流の橋(写真の左側の橋)を恐る恐る
渡ったとか(1mぐらいの路側帯)を歩いた、
タクシーを呼んで橋を渡ったなどさまざまです。
今は安心して渡れます。
これは歩道です。
大井川と同様、長い橋で10分ぐらいかかりました。
本日もご訪問ありがとうございました。
次は、浜松市内に入ります。
・
昨夕、東北地方でまた地震がありました。
津波はなかったようですが、結構揺れたようです
ご注意ください。
東海道歩き旅 14の2 3月24日(水) [東海道歩き(昔の記録)]
今年の冬は、2月に4月ごろの陽気になったり、真冬のようになったりして体調が定まりません。
又、最近は台風のような嵐が来たかと思えば、一昨日の夜は寒い夜でした。
昨日はやっと暖かい一日となりました。
・
2010年1月18日は袋井からスタートしました。
前記事最後に記載しましたが、浜松市に入るため長い天竜川を渡ります。
ところで天竜川の源はどこかご存じですか?
<諏訪湖から流れています>
天竜川を渡り終えると小さな公園がありました。
ここには付近の案内板がありました。
旧東海道を進みます。
浜松と言えば「うなぎ」
最近は餃子も宇都宮と競っているようす。
又、最近は台風のような嵐が来たかと思えば、一昨日の夜は寒い夜でした。
昨日はやっと暖かい一日となりました。
・
2010年1月18日は袋井からスタートしました。
10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて公開します。
前記事最後に記載しましたが、浜松市に入るため長い天竜川を渡ります。
ところで天竜川の源はどこかご存じですか?
<諏訪湖から流れています>
天竜川を渡り終えると小さな公園がありました。
ここには付近の案内板がありました。
旧東海道を進みます。
浜松と言えば「うなぎ」
最近は餃子も宇都宮と競っているようす。
この時はそうでありませんでした。
お昼に近かったので、うなぎにしようかと思いました。
この日は友人と会うので、うなぎは夕食にすることにしました。
田舎町みたいな通りを進みます。
立派なお屋敷がありました。
浜松の堤防を築いたり、地元の実業家(金原明善)の生家だそうです。
道はにぎやかな通りに変わりました。
駅前の高層ビルが見えてきました。
私は島根県松江市の出身です。
「松江」という交差点がありました。
全く関係ありませんが、なんとなく懐かしく感じます。
どんどん街中に入って行きます。
三立製菓、昔、三立パンってありましたね。
源氏パイの看板もついています。「源氏パイ」も、最近見かけなくなりましたね。
駅のすぐそばまで来ました。
昔の中心地の様です。
本陣跡ですが、浜松宿は、本陣6軒、旅籠94軒を誇り東海道では最大規模の宿場でした。
屋根のある高札場跡も珍しいです。
馬頭観音は中山道を歩いている時にはよく、見かけました。
(ほとんど野仏のような石仏でした)
国道一号線をひたすら西へ向かいます。
歩道橋の横に赤い鳥居が立っています。
鳥居の先は駅のはずですが、神社はなく、背中の方に神社はありました。
歩道橋を渡ります。
歩道橋を下りたら、JR高塚駅(浜松の一駅名古屋側)
モダンなデザインの駅です。
高塚駅から電車で浜松駅に戻り、友人と合流しました。
この友人は前年夏に箱根越えを一緒にしました。
この日のメモ
・今日はあまり見所はありませんでした。(見附、浜松とも跡地だけ)
・天竜川の橋は歩道があり快適でしたが、数年前まで歩道がなく歩いて渡るには大変だったとの事。
・浜松はさすが都会の雰囲気を持った町でした。
・足の裏に靴擦れのような感触が出てきました。
・翌日、一緒に歩くMさんが19:30に到着し一杯飲み最後にうな重で〆(しめ)
総時間 8時間37分
歩行時間 7時間03分
歩行距離 28.5km
歩数 約42,000歩
この日の翌日にはいよいよ愛知県に入ります。
++++++++++++++++++++++++
++++++++++++++++++++++++
一昨日、近所の桜が一斉に咲き始めました。
晴れた空に映えます。
待ち焦がれていたフリージアの花も開花しました。
まだ香りを楽しむところまで行きません。
つぼみは沢山あります。
本日もご訪問ありがとうございました。
・
お断り、本日は通院日です。
皆様への訪問は遅れます。
一昨日、近所の桜が一斉に咲き始めました。
晴れた空に映えます。
待ち焦がれていたフリージアの花も開花しました。
まだ香りを楽しむところまで行きません。
つぼみは沢山あります。
本日もご訪問ありがとうございました。
・
お断り、本日は通院日です。
皆様への訪問は遅れます。
お知らせ 3月27日(土) [独り言]
昨日、近所の散歩を軽くしただけですが、少し疲れました。
桜は満開です。
せっかく満開の桜も明日は荒天だとか・・
記事更新は明日にさせていただきます。
よろしくお願いします。
桜は満開です。
せっかく満開の桜も明日は荒天だとか・・
記事更新は明日にさせていただきます。
よろしくお願いします。
2021-03-27 05:21
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東海道歩き旅 15の1 3月28日 [東海道歩き(昔の記録)]
昨日は急遽休みました。
最近は昔みたいな頻度で更新できなくなりました。
今は3日に一度の更新をしています。
東海道歩の14日目は、高塚(浜松の一つ先)まで歩き、一駅戻り、浜松で泊まりました。
最近は昔みたいな頻度で更新できなくなりました。
今は3日に一度の更新をしています。
東海道歩の14日目は、高塚(浜松の一つ先)まで歩き、一駅戻り、浜松で泊まりました。
10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。
この日の予定は、長かった静岡県を通過して、いよいよ愛知県に入ります。
帰りの電車の都合上、この日の最終はJR二川駅にしました。
4つの宿場町を通過します。
(約25kmほどあります)
朝、7時過ぎにホテルを出発、7:45高塚に到着しました。
8時頃、昨日の終了地点を出発しました。
メインの通りではなく、静かな道です。
前日、ここで飲んでいたわけではありません。
ほとんどの車は左に分かれ、さらに静かな道になりました。
今まで見たような、屋根付きの秋葉常夜灯があります。
ここから公園のような道になります。
松並木の道が始まります
道路沿いの、左側には、東海道五十三次のモニュメントがあります。
これは日本橋かな?
こんな松並木が続きます。
あたしが歩いたのは、右側で、干支のモニュメントがあります。
これは、最初の「子の刻のモニュメント」です。
それぞれに、干支の動物を象ったモニュメントがありました。
「 牛 」
「 寅 」
それぞれに、時刻の表示をした、モニュメントが立っています。
こちらは「 竜 」
散歩をする人も少ないのか、静かな道です。
松並木も中盤になりました。
「 巳 」
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。
この日の予定は、長かった静岡県を通過して、いよいよ愛知県に入ります。
帰りの電車の都合上、この日の最終はJR二川駅にしました。
4つの宿場町を通過します。
(約25kmほどあります)
朝、7時過ぎにホテルを出発、7:45高塚に到着しました。
8時頃、昨日の終了地点を出発しました。
メインの通りではなく、静かな道です。
前日、ここで飲んでいたわけではありません。
ほとんどの車は左に分かれ、さらに静かな道になりました。
今まで見たような、屋根付きの秋葉常夜灯があります。
ここから公園のような道になります。
松並木の道が始まります
道路沿いの、左側には、東海道五十三次のモニュメントがあります。
これは日本橋かな?
こんな松並木が続きます。
あたしが歩いたのは、右側で、干支のモニュメントがあります。
これは、最初の「子の刻のモニュメント」です。
それぞれに、干支の動物を象ったモニュメントがありました。
「 牛 」
「 寅 」
それぞれに、時刻の表示をした、モニュメントが立っています。
こちらは「 竜 」
散歩をする人も少ないのか、静かな道です。
松並木も中盤になりました。
「 巳 」
「 午 」
舞阪宿のモニュメントがあります。
広重の「絵」です。
右奥に小さく富士山が見えます。
前半の絵と比べると富士の大きさがとても小さくなってきました。
水の深い藍色はヒロシゲ・ブルーと言われる美しい色遣いです。
いよいよ舞坂宿に入ります。
まだ干支の、モニュメントがありました。
「 酉 」
「 戌 」
こんな石像がありました。
浪小僧というそうです。
こんな物を見ながら歩くと飽きません。
最後に「 亥 」
これで最後です。
松並木の最後に「新町常夜灯」がありました。
舞坂宿の一里塚跡を通過します。
ここから普通の道になりました。
舞坂宿は本陣二軒、脇本陣一軒、旅籠二十八軒の宿場町でした。
脇本陣が改装されて残っています。
中に入れましたので、見学させていただきました。
上段の間、今のように暇をつぶすこともないので何をしていたんでしょう。
立派な部屋でした。
当時使った駕篭が展示してありました。
まだ10時過ぎ、頑張って次に進みましょう。
新居宿に向かいます。
こんな姿で歩きました。
2010年1月20日の東海道歩きの記録でした。
この日はまだまだ続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
今日は天気が悪いようです。
山の桜も散ってしまうでしょうか。
昨日も空が白くて綺麗な写真になりませんでした。
舞阪宿のモニュメントがあります。
広重の「絵」です。
右奥に小さく富士山が見えます。
前半の絵と比べると富士の大きさがとても小さくなってきました。
水の深い藍色はヒロシゲ・ブルーと言われる美しい色遣いです。
いよいよ舞坂宿に入ります。
まだ干支の、モニュメントがありました。
「 酉 」
「 戌 」
こんな石像がありました。
浪小僧というそうです。
こんな物を見ながら歩くと飽きません。
最後に「 亥 」
これで最後です。
松並木の最後に「新町常夜灯」がありました。
舞坂宿の一里塚跡を通過します。
ここから普通の道になりました。
舞坂宿は本陣二軒、脇本陣一軒、旅籠二十八軒の宿場町でした。
脇本陣が改装されて残っています。
中に入れましたので、見学させていただきました。
上段の間、今のように暇をつぶすこともないので何をしていたんでしょう。
立派な部屋でした。
当時使った駕篭が展示してありました。
まだ10時過ぎ、頑張って次に進みましょう。
新居宿に向かいます。
こんな姿で歩きました。
2010年1月20日の東海道歩きの記録でした。
この日はまだまだ続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
今日は天気が悪いようです。
山の桜も散ってしまうでしょうか。
昨日も空が白くて綺麗な写真になりませんでした。
東海道歩き旅 15の2 3月30日(火) [東海道歩き(昔の記録)]
3月も明日までになりました。
28日、29日に降った雨で桜も散るかと思いましたが、幸いまだ十分残っています。
数日は桜が楽しめそうです。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
昨日の朝は綺麗に晴れ渡りました。
フリージアもどんどん咲きだしました。
本日もご訪問ありがとうございました。
10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。
2010年1月20日の朝、JR高塚駅を出発して舞坂宿まで来ました。
舞坂宿脇本陣を出発して、次の新居へ向けて出発しました。
出発するとすぐに海に出ます。
(海と言っても浜名湖の一部ですが・・)
遠くに浜名バイパスが見えます。
こちらは舞坂漁港。
江戸時代には、舞坂から新居までは渡し舟でした。
こちらは雁木跡(渡船場)です。
この赤い鳥居はおなじみでしょう。
東海道新幹線によく乗る人はおなじみの景色です。
(昔、関西にいる時、何回となく見た景色です)
2~3分毎に通過します。
道路は弁天島の中を進みます。
付近の看板がありました。
今見直してみると、南が上になっています。
非常にわかりにくい看板でした。
JR新居駅前を通過します。
歩道にはこんなタイルが埋めてあります。
しばらくこんなところを進みます。
昨日、GoogleEarthで見たところ、現在とはまるっきり違いました。
この橋は今でもあります。
浜名橋には片側だけですが、何枚かの陶板が並んでいます。
全部で5枚ぐらいでしょうか。
この写真は後ろを見たところです。
これは新聞販売店、昔風に改装してあります。
やがて新居関所の建物が見えてきました。
大きな建物です。
改装工事中でした。
今はかなり変わっているでしょう。
広重の「絵」です。
関所の向かいに旅籠跡の建物がありました。
2010年1月20日の朝、JR高塚駅を出発して舞坂宿まで来ました。
舞坂宿脇本陣を出発して、次の新居へ向けて出発しました。
出発するとすぐに海に出ます。
(海と言っても浜名湖の一部ですが・・)
遠くに浜名バイパスが見えます。
こちらは舞坂漁港。
江戸時代には、舞坂から新居までは渡し舟でした。
こちらは雁木跡(渡船場)です。
この赤い鳥居はおなじみでしょう。
東海道新幹線によく乗る人はおなじみの景色です。
(昔、関西にいる時、何回となく見た景色です)
2~3分毎に通過します。
道路は弁天島の中を進みます。
付近の看板がありました。
今見直してみると、南が上になっています。
非常にわかりにくい看板でした。
JR新居駅前を通過します。
歩道にはこんなタイルが埋めてあります。
しばらくこんなところを進みます。
昨日、GoogleEarthで見たところ、現在とはまるっきり違いました。
この橋は今でもあります。
浜名橋には片側だけですが、何枚かの陶板が並んでいます。
全部で5枚ぐらいでしょうか。
この写真は後ろを見たところです。
これは新聞販売店、昔風に改装してあります。
やがて新居関所の建物が見えてきました。
大きな建物です。
改装工事中でした。
今はかなり変わっているでしょう。
広重の「絵」です。
浜名湖の西岸の宿場です。画面中央の舟を先頭に、参勤交代の大名が水面を行く様子が描かれています。
関所の向かいに旅籠跡の建物がありました。
2010年1月20日の東海道歩きの記録でした。
この日はまだまだ続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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昨日の朝は綺麗に晴れ渡りました。
フリージアもどんどん咲きだしました。
本日もご訪問ありがとうございました。