東海道 歩き旅 14の1 3月21日(日) [東海道歩き(昔の記録)]
しばらく晴天、暖かい日が続きました。
今日は雨が降り、荒天の予想です。
我が家の近所には大きな霊園があり、昨日は渋滞が起きていたようです。
彼岸の中日頃にはダイヤモンド富士が見えますが、今年は無理でしょう。
前記事には開きかけたチューリップを掲載しましたが、一昨日に開き始めました。
フリージアのつぼみはもう少しでしょうか??
+++++++++++++++++++++
東海道歩きの続きです。
今日は雨が降り、荒天の予想です。
我が家の近所には大きな霊園があり、昨日は渋滞が起きていたようです。
彼岸の中日頃にはダイヤモンド富士が見えますが、今年は無理でしょう。
前記事には開きかけたチューリップを掲載しましたが、一昨日に開き始めました。
フリージアのつぼみはもう少しでしょうか??
+++++++++++++++++++++
東海道歩きの続きです。
10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて公開します。
前日は金谷から、袋井まで歩きました。
泊まるところの都合で、磐田に泊りました。
朝、8時前に袋井駅まで戻りました。
前日の終了地点の宿場公園まで歩き、出発です。(8:04)
付近の名所案内があります。
前日、袋井に着いた時見たのは、「東海道どまんなか東小学校」でしたが・
こちらは「東海道どまんなか西小学校」です。
正式名称はこちらです。
道は磐田の方に向かって進みます。
こんな絵が店のシャッターに書いてあります。
こんな絵は開店前でないと見ることはできません。
道は市街地を離れて郊外に向かって進みます。
こんなところは、ほとんどの場合、右側のような細い道が旧道です。
一里塚(復元)がありました。
木原一里塚、江戸から61里目です。
このあたりは武田軍勢と徳川軍勢が戦ったところで木原畷と言います。
松並木のの道を進みます。
小さな山があり、山の中の道に入って行きます。
足元を見ると、こんな石碑が・・
山賊でも出そうな道です。
この辺りも古戦場だった様です。
道は山からでて住宅街に入りました。
突然、こんな看板が立っています。
品川の刑場と同じ「鈴ヶ森」という名前がついています。
道は街中に入ります。
この建物は農協です。
9時半ごろ、近くにあったマクドナルドで軽い朝食とコーヒー。
さらに進むと、白い建物がありました。
明治8年に立てられた旧見附小学校
(日本最古の洋風木造建築校舎)
見附宿と言っても、あまり知られていない地名ですね。
(赤坂見附は有名ですが・・・)
見附宿は本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠五56軒の宿場だったようです。
昔の建物などは残っていません。
西からきて初めて富士山が見えるところだったそうです。
広重の絵
当時(10年前)ジュビロ磐田が人気だったと記憶しています。
歩道に埋め込まれた、足型。
昨晩泊まった磐田駅付近に着きました。
駅には向かわずに、浜松方面に進みます。
前日は金谷から、袋井まで歩きました。
泊まるところの都合で、磐田に泊りました。
朝、8時前に袋井駅まで戻りました。
前日の終了地点の宿場公園まで歩き、出発です。(8:04)
付近の名所案内があります。
前日、袋井に着いた時見たのは、「東海道どまんなか東小学校」でしたが・
こちらは「東海道どまんなか西小学校」です。
正式名称はこちらです。
道は磐田の方に向かって進みます。
こんな絵が店のシャッターに書いてあります。
こんな絵は開店前でないと見ることはできません。
道は市街地を離れて郊外に向かって進みます。
こんなところは、ほとんどの場合、右側のような細い道が旧道です。
一里塚(復元)がありました。
木原一里塚、江戸から61里目です。
このあたりは武田軍勢と徳川軍勢が戦ったところで木原畷と言います。
松並木のの道を進みます。
小さな山があり、山の中の道に入って行きます。
足元を見ると、こんな石碑が・・
山賊でも出そうな道です。
この辺りも古戦場だった様です。
道は山からでて住宅街に入りました。
突然、こんな看板が立っています。
品川の刑場と同じ「鈴ヶ森」という名前がついています。
道は街中に入ります。
この建物は農協です。
9時半ごろ、近くにあったマクドナルドで軽い朝食とコーヒー。
さらに進むと、白い建物がありました。
明治8年に立てられた旧見附小学校
(日本最古の洋風木造建築校舎)
見附宿と言っても、あまり知られていない地名ですね。
(赤坂見附は有名ですが・・・)
見附宿は本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠五56軒の宿場だったようです。
昔の建物などは残っていません。
西からきて初めて富士山が見えるところだったそうです。
広重の絵
当時(10年前)ジュビロ磐田が人気だったと記憶しています。
歩道に埋め込まれた、足型。
昨晩泊まった磐田駅付近に着きました。
駅には向かわずに、浜松方面に進みます。
宮之一色秋葉常夜灯がありました。
むき出しの灯篭ではなく風除けの囲いがけしてあります。
上部の格子の隙間から明かりが見える様になっています。
軒下には竜の彫り物があり立派なもでした。
国道1号線から離れて左の道に行きます。
長森の立て場に着きました。
「長森のかうやく」
ここでは切り傷、あかぎれに効く膏薬を作っていました。
11:47
天竜川橋の近くまで来ました。
昔は橋なんかないので、当然「渡し」に乗ることになります。
渡船場は約1.2Kmもっと上流にありますが、ここは見ずに先へ進みます
現在、ここには3本の橋が架かっています。
一番下流側が昭和8年に出来た橋で、片道1車線(歩道なし)
真ん中の橋が4車線の下り専用の橋で歩道が付いています。
上流側が4車線の上り専用の橋です
真ん中の橋が出来たのが2006年秋ごろなので、それ以前は
歩いてこの橋を渡るには大変だったらしい。
他の人の東海道歩きの記録を見ると、下流の橋(写真の左側の橋)を恐る恐る
渡ったとか(1mぐらいの路側帯)を歩いた、
タクシーを呼んで橋を渡ったなどさまざまです。
今は安心して渡れます。
これは歩道です。
大井川と同様、長い橋で10分ぐらいかかりました。
本日もご訪問ありがとうございました。
次は、浜松市内に入ります。
・
昨夕、東北地方でまた地震がありました。
津波はなかったようですが、結構揺れたようです
ご注意ください。
軒下には竜の彫り物があり立派なもでした。
国道1号線から離れて左の道に行きます。
長森の立て場に着きました。
「長森のかうやく」
ここでは切り傷、あかぎれに効く膏薬を作っていました。
11:47
天竜川橋の近くまで来ました。
昔は橋なんかないので、当然「渡し」に乗ることになります。
渡船場は約1.2Kmもっと上流にありますが、ここは見ずに先へ進みます
現在、ここには3本の橋が架かっています。
一番下流側が昭和8年に出来た橋で、片道1車線(歩道なし)
真ん中の橋が4車線の下り専用の橋で歩道が付いています。
上流側が4車線の上り専用の橋です
真ん中の橋が出来たのが2006年秋ごろなので、それ以前は
歩いてこの橋を渡るには大変だったらしい。
他の人の東海道歩きの記録を見ると、下流の橋(写真の左側の橋)を恐る恐る
渡ったとか(1mぐらいの路側帯)を歩いた、
タクシーを呼んで橋を渡ったなどさまざまです。
今は安心して渡れます。
これは歩道です。
大井川と同様、長い橋で10分ぐらいかかりました。
本日もご訪問ありがとうございました。
次は、浜松市内に入ります。
・
昨夕、東北地方でまた地震がありました。
津波はなかったようですが、結構揺れたようです
ご注意ください。