東海道歩き旅 13の2 3月12日(金) [東海道歩き(昔の記録)]
朝晩はまだ冷えますが、昼間の気温は高くなり、ホッとする天気になりました。
あと1週間ぐらいでソメイヨシノの開花宣言が予想されています。
やれやれです。
ハクモクレン、ユキヤナギ、この時期の花があちこちに咲くようになりました。
今週は病院通いが続きました。
歯科、眼科の定期健診、近くの大きな病院のお泌尿器科の3か月1回の検査。
今日からしばらくは、病院通いはありません。
昨日は3か月に半年に1回の泌尿器科の検査でした。
約10年前に発症した、前立腺がんの腫瘍マーカー(PSA)は約0.178でした。
ほぼ完治(?)です。
(そのほかの病気は沢山ありますが・・・)
病院は比較的空いていて、昼前には帰宅できました。
暖かくなったので、少しは近所の散歩でも出来るのではと思っています。
今日からは天気が良くありませんし、体調がまだ戻りません。
・
10年前の東海道歩き旅を続けます。
あと1週間ぐらいでソメイヨシノの開花宣言が予想されています。
やれやれです。
ハクモクレン、ユキヤナギ、この時期の花があちこちに咲くようになりました。
今週は病院通いが続きました。
歯科、眼科の定期健診、近くの大きな病院のお泌尿器科の3か月1回の検査。
今日からしばらくは、病院通いはありません。
昨日は3か月に半年に1回の泌尿器科の検査でした。
約10年前に発症した、前立腺がんの腫瘍マーカー(PSA)は約0.178でした。
ほぼ完治(?)です。
(そのほかの病気は沢山ありますが・・・)
病院は比較的空いていて、昼前には帰宅できました。
暖かくなったので、少しは近所の散歩でも出来るのではと思っています。
今日からは天気が良くありませんし、体調がまだ戻りません。
・
10年前の東海道歩き旅を続けます。
10年前の東海道歩きは続きます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて公開します。
まだ正月気分が抜けきらない、2010年1月の事です。
前記事に、丸い石がゴロゴロした石畳の道を紹介しました。
その道は、平成になってから復元された石畳です。
こちらは江戸時代後期の元の石畳です。
この坂を下っていくと、「菊川」です。
間の宿は宿場との間が長い所に設けられました。
中山道にもいくつかありました。
菊川の街に入って行きました。
これは何屋さんでしょう。
上り坂の入り口に来ました。
急な坂道になりました。
粟が岳の姿も見えます。
< 前回の記事で栗が岳と記載しましたが、粟が岳(あわがたけ)画正解です>
高い所なので水遣りも大変でしょう。
こんなスプリンクラー各所に設置されています。
お寺の前に来ました。
「久延寺(きゅうえんじ)」というお寺です、
山内一豊が境内に茶室を設け、関ヶ原に向かう家康をもてなしたとか・・
すぐ近くに、「子育て飴」という看板がありました。
今でもあるようですが、水飴のようなものらしいです。
夜泣き石の跡の石碑があります。
まだ正月気分が抜けきらない、2010年1月の事です。
前記事に、丸い石がゴロゴロした石畳の道を紹介しました。
その道は、平成になってから復元された石畳です。
こちらは江戸時代後期の元の石畳です。
この坂を下っていくと、「菊川」です。
間の宿は宿場との間が長い所に設けられました。
中山道にもいくつかありました。
菊川の街に入って行きました。
これは何屋さんでしょう。
上り坂の入り口に来ました。
急な坂道になりました。
粟が岳の姿も見えます。
< 前回の記事で栗が岳と記載しましたが、粟が岳(あわがたけ)画正解です>
高い所なので水遣りも大変でしょう。
こんなスプリンクラー各所に設置されています。
お寺の前に来ました。
「久延寺(きゅうえんじ)」というお寺です、
山内一豊が境内に茶室を設け、関ヶ原に向かう家康をもてなしたとか・・
すぐ近くに、「子育て飴」という看板がありました。
今でもあるようですが、水飴のようなものらしいです。
夜泣き石の跡の石碑があります。
小夜の中山には、「夜泣き石」伝説が残されています。
久延寺に安産祈願にきた妊婦が中山峠を越える途中、山賊に襲われて殺されました。
お腹の切り口から生まれた赤ん坊を助けるため、母の魂はかたわらの石にのり移って泣きました。
お寺のお坊さんに拾われた赤ん坊は、お乳の代わりに水飴を与えられ、大事に育てられました。
その子供は立派に成長し、母の仇を討ったと云われています。
夜泣き石は現在小夜の中山トンネル脇に据えられているそうです。
山道を下ります。
粟が岳が見えます。
車でも行けるそうですが、道が狭く、徒歩で上る人が多いそうです。
標高532mの山です。
「茶」の文字は、茶畑のようなものでなく、そこそこの成木だそうです。
横の林の隙間から特に雪をかぶった山が・・
おそらく御嶽山ではないかと思いますが、確かめていません。
広重の絵碑がありました。
ところが私が調べた東海道五十三次の広重の絵は・・・・!
小夜の中山
この違いは何でしょう?
道はどんどん下っていきます。
ここは石畳ではないので、速足で歩けます。
下ったところに日坂(にっさか)宿があります。
日坂宿の本陣跡ですが、中は幼稚園の様でした。
川坂屋という旅籠ですが、脇本陣と同様な格式のある旅籠だったようです。
宿場の中心にある高札場の復元です。
峠越えの荷物運びの値段などが書いてあります。
ちょうどお昼ごろでしたが、朝からほとんど食べていません。
食べるところもありません。
そのまま進むとやっとコンビニが見つかり、おにぎりで昼食にしました。
(13時頃)
その子供は立派に成長し、母の仇を討ったと云われています。
夜泣き石は現在小夜の中山トンネル脇に据えられているそうです。
山道を下ります。
粟が岳が見えます。
車でも行けるそうですが、道が狭く、徒歩で上る人が多いそうです。
標高532mの山です。
「茶」の文字は、茶畑のようなものでなく、そこそこの成木だそうです。
横の林の隙間から特に雪をかぶった山が・・
おそらく御嶽山ではないかと思いますが、確かめていません。
広重の絵碑がありました。
ところが私が調べた東海道五十三次の広重の絵は・・・・!
小夜の中山
この違いは何でしょう?
道はどんどん下っていきます。
ここは石畳ではないので、速足で歩けます。
下ったところに日坂(にっさか)宿があります。
日坂宿の本陣跡ですが、中は幼稚園の様でした。
川坂屋という旅籠ですが、脇本陣と同様な格式のある旅籠だったようです。
宿場の中心にある高札場の復元です。
峠越えの荷物運びの値段などが書いてあります。
ちょうどお昼ごろでしたが、朝からほとんど食べていません。
食べるところもありません。
そのまま進むとやっとコンビニが見つかり、おにぎりで昼食にしました。
(13時頃)
2010年1月18日(月)の午前中の記事でした。
本日もご訪問ありがとうございました。
本日もご訪問ありがとうございました。