東海道 歩き旅 13の3 3月15日(月) [東海道歩き(昔の記録)]
3月も半分過ぎました。
かなり暖かくなってきました。
一昨日(13日の土曜日)は午後を中心に、春雷、大雨と大荒れの天気でした。
昨日は晴天で、東京ではいよいよ桜の開花が始まりました。
朝から晴れ渡った青空でした。
こんな綺麗な富士山も今冬最後でしょう。
10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
かなり暖かくなってきました。
一昨日(13日の土曜日)は午後を中心に、春雷、大雨と大荒れの天気でした。
昨日は晴天で、東京ではいよいよ桜の開花が始まりました。
朝から晴れ渡った青空でした。
こんな綺麗な富士山も今冬最後でしょう。
10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は初めて公開します。
日坂宿を通過して、掛川方面に向かいます
伊達方一里塚跡の石柱が立って居ます。
ひたすら国道1号線を掛川方面に向かいます。
少し市街地に近くなってきました。
こんな道標がありました。
総時間 7時間24分
歩行時間 6時間19分
歩行距離 24.5km
歩数 42,500歩
2010年1月18日(約10年前)の東海道歩きでした。
本日もご訪問ありがとうございました。
日坂宿を通過して、掛川方面に向かいます
伊達方一里塚跡の石柱が立って居ます。
ひたすら国道1号線を掛川方面に向かいます。
少し市街地に近くなってきました。
こんな道標がありました。
[大龍頭権現福天大権現参道標]掛川市成滝
成滝道標から800mほど西の、掛川農協西山口支所の脇に大龍頭権現福天大権現参道標が残されています。
この参道標は古くからこの位置にあったものではなく、
元の位置はここから10mほど東にあり、川崎街道起点に置かれていたと、立て札に記されています。
川崎街道とは、掛川宿と縁の深い川崎湊(現静波町)に続く道のことです。
広重の絵です。
左側から来る僧侶にお辞儀をしている様子です。
葛川の一里塚の跡です。
この辺りから、七曲という路地に入ります。
城下町には、掛川宿にこだわらずこんな曲がり角の路地があります。
防火用と人の出入りを監視するために設けられました。
この地方では、秋葉山(秋葉寺(しゅうようじ)とその守護神・三尺坊大権現)が火防の神として有名です江戸時代に入ってから、秋葉山は庶民だけではなく、武士の間にも信者を得ていました。
秋葉山常夜灯は各所に立っています。
七曲の道を抜けると、宿場のメインの通りに入ります。
何処にでもあるような、市街地です。
掛川では大きなお祭りがあるようです。
これが銀行??? セキュリティは大丈夫なんでしょうか?
掛川城が見えていました。
藩主だった、山内一豊が有名です。
道は市街地を離れ、掛川の郊外に変わっていきます。
一度、国道から離れ、閑静な住宅街を通ります。
再び、国道1号線に合流します。
バイパスがあるので車の量はそれほど多くはありません。
また松並木が出てきました。
緑があるとホッとします。
間の宿、原川を通過します。
松並木の説明版です。
歩道はありませんが、路肩が広いので歩き易いです。
こちらは北野天満宮ですが、何かお寺のような感じです。
大きな常夜灯が二つ並んでいます
一里塚跡です。
一里塚の説明です。
いきなり小学校の前に出ました。
「東海道五十三次」どまん中東小学校の看板がかかっています。
正式名称はこちらでしょう。
かなり薄暗くなってきました。
もうすぐ袋井の街です。
道路沿いにこんな小屋がありました。
観光案内所の様です。
広重の絵にもお茶屋がいくつか並んでいます。
外から写真を撮っていると中から人が出てきて、「中で休んで行け」と誘われました。
お茶とミカンを頂きました。
ちょっとだけ休憩し、この日の最後の数百メートルを歩きました。
袋井宿本陣跡・・と言ってもこの門しかありません。
この公園でこの日の最後にしました。
駅に向かう途中に日没になりました。
この日は、袋井で泊まるつもりでしたが、次の磐田で泊まることにしました。
++++++++++++++++++++++++
この日のメモより
この参道標は古くからこの位置にあったものではなく、
元の位置はここから10mほど東にあり、川崎街道起点に置かれていたと、立て札に記されています。
川崎街道とは、掛川宿と縁の深い川崎湊(現静波町)に続く道のことです。
広重の絵です。
左側から来る僧侶にお辞儀をしている様子です。
葛川の一里塚の跡です。
この辺りから、七曲という路地に入ります。
城下町には、掛川宿にこだわらずこんな曲がり角の路地があります。
防火用と人の出入りを監視するために設けられました。
この地方では、秋葉山(秋葉寺(しゅうようじ)とその守護神・三尺坊大権現)が火防の神として有名です江戸時代に入ってから、秋葉山は庶民だけではなく、武士の間にも信者を得ていました。
秋葉山常夜灯は各所に立っています。
七曲の道を抜けると、宿場のメインの通りに入ります。
何処にでもあるような、市街地です。
掛川では大きなお祭りがあるようです。
これが銀行??? セキュリティは大丈夫なんでしょうか?
掛川城が見えていました。
藩主だった、山内一豊が有名です。
道は市街地を離れ、掛川の郊外に変わっていきます。
一度、国道から離れ、閑静な住宅街を通ります。
再び、国道1号線に合流します。
バイパスがあるので車の量はそれほど多くはありません。
また松並木が出てきました。
緑があるとホッとします。
間の宿、原川を通過します。
松並木の説明版です。
歩道はありませんが、路肩が広いので歩き易いです。
こちらは北野天満宮ですが、何かお寺のような感じです。
大きな常夜灯が二つ並んでいます
一里塚跡です。
一里塚の説明です。
いきなり小学校の前に出ました。
「東海道五十三次」どまん中東小学校の看板がかかっています。
正式名称はこちらでしょう。
かなり薄暗くなってきました。
もうすぐ袋井の街です。
道路沿いにこんな小屋がありました。
観光案内所の様です。
広重の絵にもお茶屋がいくつか並んでいます。
外から写真を撮っていると中から人が出てきて、「中で休んで行け」と誘われました。
お茶とミカンを頂きました。
ちょっとだけ休憩し、この日の最後の数百メートルを歩きました。
袋井宿本陣跡・・と言ってもこの門しかありません。
この公園でこの日の最後にしました。
駅に向かう途中に日没になりました。
この日は、袋井で泊まるつもりでしたが、次の磐田で泊まることにしました。
++++++++++++++++++++++++
この日のメモより
・気持ちの良い天気ではあったけど、前半の二つの峠は予想以上に厳しいコースでした
・また道を間違えてしまった。注意が肝心
・袋井は街を上げての「東海道五十三次どまん中」
・今までかなり進んだと思っていたが、やっと半分終わったところです。
・袋井は食事をするところがなく磐田駅に移動しました
・磐田駅近くの焼き鳥屋で夕食にしました。
・隣の陽気な若者、店のなじみの客、店の主人などと,盛り上がって、楽しい夕食になりました。
・
東海道ど真ん中はここです。
東海道道中記はまだ半分です。
・隣の陽気な若者、店のなじみの客、店の主人などと,盛り上がって、楽しい夕食になりました。
・
東海道ど真ん中はここです。
東海道道中記はまだ半分です。
歩行時間 6時間19分
歩行距離 24.5km
歩数 42,500歩
2010年1月18日(約10年前)の東海道歩きでした。
本日もご訪問ありがとうございました。