東海道歩き旅 (1-2) 1月21日(木) [東海道歩き(昔の記録)]
順序が逆になりましたが、東海道を歩いてみようと思ったきっかけは次の通りです。
高校時代、歴史の授業は大嫌いで、まったく興味がありませんでした。
通勤電車の中で、山岡荘八の「徳川家康」(文庫本で約50冊)を読んでいました。
段々、この時代に対する興味が沸いてきました。
また箱根、戸塚、平塚、大磯などの宿場町は身近な所にありました。
いつか東海道を歩いてみたいと思うようになりました。
当時、「街道歩き」が静かなブームになり、NHKなどで紹介したりしていました。
(江戸幕府は1603年開府で幕府開府400年の記念行事もよくありました)
その時は時間的余裕がないので、定年後の楽しみとして予定をしていました(情報集めは少しずつ行っていた)
2007年末に定年になり、その後週3日ほどの仕事をしていました。
2009年7月から完全に自由な身になり、いよいよ実行することにしました。
趣味の山歩きで、足に不安はありませんでした。
とりあえず日本橋から横浜まで歩こうと第一歩を踏み出しました。
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前記事では、江戸日本橋を出発して、鈴ヶ森刑場跡まで掲載しました。
鈴ヶ森刑場跡は、現在の大井競馬場の近くにあります。
鈴ヶ森刑場跡を通り過ぎて、しばらく進むと、国道15号線に合流します。
急に交通量が多くなり、排気ガスも増えます。
すぐに旧道に分かれます。
大森海岸の近くなので、海苔問屋さんが増えます。
約1km程度細い道を進むと再び15号線に合流します。
工事をしているのは京浜急行の蒲田駅です。
(現在はこの工事は終わっています)
以前は、国道15号線に羽田空港に行く空港線の踏切がありました。
今は工事も完了し、高架線路の上を電車が走っており。この踏切もなくなりました。
この後、六郷橋まで15号線をひたすら歩き、川崎市に入りました。
六郷橋を渡ると市街地に入りますが何処かわかりません。
こんな案内があると便利です。
神奈川県に入ったので地図が変わります。
この地図は横浜国道事務所が発行していましたが、現在はもうなくなり、PDFファイルで公開されています。
川崎から、箱根峠の静岡県との境まで掲載されています。
広げるとこんな図です。
川崎の本陣があった辺りです。
広重の浮世絵では六郷川の渡しが描かれています。
こんな博物館がありました。
個人の浮世絵蒐集家が作った博物館ですが、現在は閉鎖されています。
川崎市内で昼食を摂り、鶴見方面に向かいます。
12時半ごろ、鶴見橋を渡ります。
鶴見橋を渡ると、京浜急行の鶴見駅の近くを通ります。
こんな案内がありました。
ここでこの日は終了しようと思いましたが、まだ元気があるのでもう少し進むことにしました。
しばらく進むと生麦の魚屋さんの通りに入りました。
朝は混みあうらしいです。(当時は・・)
しばらく進んで15号線に合流しますが、合流地点に生麦事件の跡の石碑がありました。
少し進むとこんな看板が、
中に入ると、緑もあるし休憩にはちょうどいいです。
正面はキリンビールの横浜工場です。
午後2時過ぎ、のどが渇いたので吸い込まれてしまいました。
生ビール(市販のビールではなく、ここで醸造したビールです)
この日は朝6時から歩いています。
美味しいビールとサバのスモークで生き返りました。
ここまで来ると、あと少しです。
JRの東神奈川駅付近です。
神奈川宿の本陣はこの通りの右側辺りにあったようです。
本日のゴール、京浜急行神奈川駅に着きました(翌日撮った写真です)
ここからJR横浜駅まで5分ぐらいです。
この日の記録
総時間 ・・9時間2分
歩行時間・・ 7時間28分
歩行距離 ・・約30㎞
歩数・・ 49,285歩
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この日のメモ
東海道歩きの第一日目でどこまで歩くかは別にしてとりあえずスタートした。
今まで山のハイキングは何度も行っているが、舗装道路を何時間も歩くのははじめてだ。
山と同様、靴は大切だ。
それなりのウォーキングシューズを履いていないと疲れる。
山歩きと違い荷物はほとんど不要。
今後はわからないが、疲れたらいつでも中止できる
・座って休憩する場所が少ない。
コースから外れればあるだろうが、ベンチなどはほとんどない
トイレが少ない。山もトイレはないがそれなりに何とかなる?
コンビニか飲食店ですることになる
・騒音と排気ガスは我慢するしかないが、現在では裏道みたいなところなので比較的静かな道だ。
昔の本陣跡などの、当時を思い起こさせる案内板があったりして楽しめる。
暑い一日だったと思っていたら、関東地方は梅雨明け宣言がされた日だった。
30Kmも歩くとさすがに疲れた
東海道はまだまだ先があります。
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本日もご訪問ありがとうございました。
昨日は大寒でした。
こんな日に限って、通院日、朝早く出て、夕方までかかりました。