東海道歩き旅 17の1 4月19日(月) [東海道歩き(昔の記録)]
最近の天気予報は、ほぼ当たるようになってきました。
一昨日の夜は嵐のような天気でしたが、昨日の朝は好転、綺麗な青空になりました。
但し、日本海側は、場所によっては雹、霰が降った所もあり、まだまだ冬の気候です。
・
八重桜もほぼ散ってしまい、今はツツジがあちこちで咲き誇っています。
体調はあまり思わしくなく、家でゴロゴロしていることが多いです。
なんとか毎日ストレッチは続けています。
数週間前には左足が不自由で、立つことも不便でした。
ストレッチと軽いスクワットで何とか回復してきました。
++++++++++++++++++++++++
この日は前日に豊橋で泊まり朝から歩いて、藤川宿の入り口まで来ました。
手作り風の案内が立っています。
すでに岡崎市に入っています。
本宿の一里塚跡の石碑です。
本宿の入り口の案内です。
松並木の一部が使われています。
名鉄の線路に沿って進みます。
この車両は、2,3年前まで走っていた成田エクスプレスとそっくりですね。
こんな案内もありました。
ここから藤川宿の中心地になるようです。
畑の中に常夜灯ポツンと立っています。
これならばよく目立ちますね。
昔ながらの旧街道を進みます。
藤川宿の中心、本陣跡の案内です。
小さな空き地に石碑が立っていました。
道は静かな道に変わります。
西棒鼻跡の案内です。
広重の絵です。
幕府から朝廷へ馬を献上する行列の様子です。旅人たちがこの行列に土下座をしています。
松並木の道に変わります。
今度は国道沿いの道になり、うるさい道になります。
静かな松並木と合流したり、一緒になったりします。
明治以降、国道を作る時、旧街道と並行して作られたところがほとんどです。
(又は、旧街道が拡幅してそのまま新しい道になった所)
大平(たいへい)一里塚です。
江戸から80番目(約320km)の一里塚です。
比較的、昔の姿が残っています。
道路は行き止まりになり、地下道で国道を渡ります。
これも旧街道歩きでしょうか。
国道の反対側に変わります。
更に旧東海道を歩いていくと、前方に冠木門が見えて来ました。
二十七曲りの案内石碑と要所にあった木戸(門)を冠木門として再現したと言われます。
ここ岡崎は家康の生誕地であり、先祖の松平家の本拠地でもありました。
岡崎に入部した田中吉政が東海道を城下に引き入れました。
城の防衛上、27曲りと呼ばれるように多くの曲折をなした街道を作りました。
現在では戦災や戦後復興の道路拡張のため宿場町としての面影はほとんど残っていません。
旧東海道に建立されていた城下27曲りの石碑を参考に旧街道筋をたどることができます。
このような道は掛川にもありました。
地図ではこうなっています。
道路の角には案内が立っています。
街は普通の都市の町並みです。
この日は赤坂から歩いてきました。
また、この日は家に帰る予定でした。
腹ごしらえも必要です。
良いにおいがしてきました。
この店に吸い込まれました。
(Google ストリートビュウ)
関東風の焼き方ではなく、皮がパリッと焼いてあり、美味しいウナギでした。
(残念ながら写真はありません)
東海道をもう少し歩きます。
岡崎城が見えてきました。
若き徳川家康が暮らした岡崎城の城下町として、府中宿の次に大きな宿場町でした。
絵には東海道一長い橋・矢矧橋が精密に描かれています。
駅の方に向かいますが、八丁味噌のショールームがありました。
家へ持って帰るには少し重いですが小さなパックを買いました。
駅まで歩いて名鉄電車に乗ります。
この日はここから大船まで帰ります。
名鉄岡崎公園発 14:43
豊橋(JR)発15:28発
浜松発16:01発
熱海発18:59発
国府津発19:33発
大船着20:03着
一昨日の夜は嵐のような天気でしたが、昨日の朝は好転、綺麗な青空になりました。
但し、日本海側は、場所によっては雹、霰が降った所もあり、まだまだ冬の気候です。
・
八重桜もほぼ散ってしまい、今はツツジがあちこちで咲き誇っています。
体調はあまり思わしくなく、家でゴロゴロしていることが多いです。
なんとか毎日ストレッチは続けています。
数週間前には左足が不自由で、立つことも不便でした。
ストレッチと軽いスクワットで何とか回復してきました。
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2009年~2012年の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います
この日は前日に豊橋で泊まり朝から歩いて、藤川宿の入り口まで来ました。
手作り風の案内が立っています。
すでに岡崎市に入っています。
本宿の一里塚跡の石碑です。
本宿の入り口の案内です。
松並木の一部が使われています。
名鉄の線路に沿って進みます。
この車両は、2,3年前まで走っていた成田エクスプレスとそっくりですね。
こんな案内もありました。
ここから藤川宿の中心地になるようです。
畑の中に常夜灯ポツンと立っています。
これならばよく目立ちますね。
昔ながらの旧街道を進みます。
藤川宿の中心、本陣跡の案内です。
小さな空き地に石碑が立っていました。
道は静かな道に変わります。
西棒鼻跡の案内です。
広重の絵です。
幕府から朝廷へ馬を献上する行列の様子です。旅人たちがこの行列に土下座をしています。
松並木の道に変わります。
今度は国道沿いの道になり、うるさい道になります。
静かな松並木と合流したり、一緒になったりします。
明治以降、国道を作る時、旧街道と並行して作られたところがほとんどです。
(又は、旧街道が拡幅してそのまま新しい道になった所)
大平(たいへい)一里塚です。
江戸から80番目(約320km)の一里塚です。
比較的、昔の姿が残っています。
道路は行き止まりになり、地下道で国道を渡ります。
これも旧街道歩きでしょうか。
国道の反対側に変わります。
更に旧東海道を歩いていくと、前方に冠木門が見えて来ました。
二十七曲りの案内石碑と要所にあった木戸(門)を冠木門として再現したと言われます。
ここ岡崎は家康の生誕地であり、先祖の松平家の本拠地でもありました。
岡崎に入部した田中吉政が東海道を城下に引き入れました。
城の防衛上、27曲りと呼ばれるように多くの曲折をなした街道を作りました。
現在では戦災や戦後復興の道路拡張のため宿場町としての面影はほとんど残っていません。
旧東海道に建立されていた城下27曲りの石碑を参考に旧街道筋をたどることができます。
このような道は掛川にもありました。
地図ではこうなっています。
道路の角には案内が立っています。
街は普通の都市の町並みです。
この日は赤坂から歩いてきました。
また、この日は家に帰る予定でした。
腹ごしらえも必要です。
良いにおいがしてきました。
この店に吸い込まれました。
(Google ストリートビュウ)
関東風の焼き方ではなく、皮がパリッと焼いてあり、美味しいウナギでした。
(残念ながら写真はありません)
東海道をもう少し歩きます。
岡崎城が見えてきました。
若き徳川家康が暮らした岡崎城の城下町として、府中宿の次に大きな宿場町でした。
絵には東海道一長い橋・矢矧橋が精密に描かれています。
駅の方に向かいますが、八丁味噌のショールームがありました。
家へ持って帰るには少し重いですが小さなパックを買いました。
駅まで歩いて名鉄電車に乗ります。
この日はここから大船まで帰ります。
名鉄岡崎公園発 14:43
豊橋(JR)発15:28発
浜松発16:01発
熱海発18:59発
国府津発19:33発
大船着20:03着
総時間(休憩含む) 7時間30分
歩行時間 5時間53分
歩行距離(概算) 20.7Km
この区間の歩数 31,810歩
この日の総歩数 36,324歩
2010年8月5日の東海道歩きの記録でした。
本日もご訪問ありがとうございました。
++++++++++++++++++++++++
コロナワクチンの接種は進んでいるかに報道されてはいます。
実際のスケジュールは聞くたびに 遅れて、9月とか何とか言っています。
予防するしかありません。
2010年8月5日の東海道歩きの記録でした。
本日もご訪問ありがとうございました。
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コロナワクチンの接種は進んでいるかに報道されてはいます。
実際のスケジュールは聞くたびに 遅れて、9月とか何とか言っています。
予防するしかありません。