東海道歩き旅 17の1 4月19日(月) [東海道歩き(昔の記録)]
最近の天気予報は、ほぼ当たるようになってきました。
一昨日の夜は嵐のような天気でしたが、昨日の朝は好転、綺麗な青空になりました。
但し、日本海側は、場所によっては雹、霰が降った所もあり、まだまだ冬の気候です。
・
八重桜もほぼ散ってしまい、今はツツジがあちこちで咲き誇っています。
体調はあまり思わしくなく、家でゴロゴロしていることが多いです。
なんとか毎日ストレッチは続けています。
数週間前には左足が不自由で、立つことも不便でした。
ストレッチと軽いスクワットで何とか回復してきました。
++++++++++++++++++++++++
この日は前日に豊橋で泊まり朝から歩いて、藤川宿の入り口まで来ました。
手作り風の案内が立っています。
すでに岡崎市に入っています。
本宿の一里塚跡の石碑です。
本宿の入り口の案内です。
松並木の一部が使われています。
名鉄の線路に沿って進みます。
この車両は、2,3年前まで走っていた成田エクスプレスとそっくりですね。
こんな案内もありました。
ここから藤川宿の中心地になるようです。
畑の中に常夜灯ポツンと立っています。
これならばよく目立ちますね。
昔ながらの旧街道を進みます。
藤川宿の中心、本陣跡の案内です。
小さな空き地に石碑が立っていました。
道は静かな道に変わります。
西棒鼻跡の案内です。
広重の絵です。
幕府から朝廷へ馬を献上する行列の様子です。旅人たちがこの行列に土下座をしています。
松並木の道に変わります。
今度は国道沿いの道になり、うるさい道になります。
静かな松並木と合流したり、一緒になったりします。
明治以降、国道を作る時、旧街道と並行して作られたところがほとんどです。
(又は、旧街道が拡幅してそのまま新しい道になった所)
大平(たいへい)一里塚です。
江戸から80番目(約320km)の一里塚です。
比較的、昔の姿が残っています。
道路は行き止まりになり、地下道で国道を渡ります。
これも旧街道歩きでしょうか。
国道の反対側に変わります。
更に旧東海道を歩いていくと、前方に冠木門が見えて来ました。
二十七曲りの案内石碑と要所にあった木戸(門)を冠木門として再現したと言われます。
ここ岡崎は家康の生誕地であり、先祖の松平家の本拠地でもありました。
岡崎に入部した田中吉政が東海道を城下に引き入れました。
城の防衛上、27曲りと呼ばれるように多くの曲折をなした街道を作りました。
現在では戦災や戦後復興の道路拡張のため宿場町としての面影はほとんど残っていません。
旧東海道に建立されていた城下27曲りの石碑を参考に旧街道筋をたどることができます。
このような道は掛川にもありました。
地図ではこうなっています。
道路の角には案内が立っています。
街は普通の都市の町並みです。
この日は赤坂から歩いてきました。
また、この日は家に帰る予定でした。
腹ごしらえも必要です。
良いにおいがしてきました。
この店に吸い込まれました。
(Google ストリートビュウ)
関東風の焼き方ではなく、皮がパリッと焼いてあり、美味しいウナギでした。
(残念ながら写真はありません)
東海道をもう少し歩きます。
岡崎城が見えてきました。
若き徳川家康が暮らした岡崎城の城下町として、府中宿の次に大きな宿場町でした。
絵には東海道一長い橋・矢矧橋が精密に描かれています。
駅の方に向かいますが、八丁味噌のショールームがありました。
家へ持って帰るには少し重いですが小さなパックを買いました。
駅まで歩いて名鉄電車に乗ります。
この日はここから大船まで帰ります。
名鉄岡崎公園発 14:43
豊橋(JR)発15:28発
浜松発16:01発
熱海発18:59発
国府津発19:33発
大船着20:03着
一昨日の夜は嵐のような天気でしたが、昨日の朝は好転、綺麗な青空になりました。
但し、日本海側は、場所によっては雹、霰が降った所もあり、まだまだ冬の気候です。
・
八重桜もほぼ散ってしまい、今はツツジがあちこちで咲き誇っています。
体調はあまり思わしくなく、家でゴロゴロしていることが多いです。
なんとか毎日ストレッチは続けています。
数週間前には左足が不自由で、立つことも不便でした。
ストレッチと軽いスクワットで何とか回復してきました。
++++++++++++++++++++++++
2009年~2012年の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います
この日は前日に豊橋で泊まり朝から歩いて、藤川宿の入り口まで来ました。
手作り風の案内が立っています。
すでに岡崎市に入っています。
本宿の一里塚跡の石碑です。
本宿の入り口の案内です。
松並木の一部が使われています。
名鉄の線路に沿って進みます。
この車両は、2,3年前まで走っていた成田エクスプレスとそっくりですね。
こんな案内もありました。
ここから藤川宿の中心地になるようです。
畑の中に常夜灯ポツンと立っています。
これならばよく目立ちますね。
昔ながらの旧街道を進みます。
藤川宿の中心、本陣跡の案内です。
小さな空き地に石碑が立っていました。
道は静かな道に変わります。
西棒鼻跡の案内です。
広重の絵です。
幕府から朝廷へ馬を献上する行列の様子です。旅人たちがこの行列に土下座をしています。
松並木の道に変わります。
今度は国道沿いの道になり、うるさい道になります。
静かな松並木と合流したり、一緒になったりします。
明治以降、国道を作る時、旧街道と並行して作られたところがほとんどです。
(又は、旧街道が拡幅してそのまま新しい道になった所)
大平(たいへい)一里塚です。
江戸から80番目(約320km)の一里塚です。
比較的、昔の姿が残っています。
道路は行き止まりになり、地下道で国道を渡ります。
これも旧街道歩きでしょうか。
国道の反対側に変わります。
更に旧東海道を歩いていくと、前方に冠木門が見えて来ました。
二十七曲りの案内石碑と要所にあった木戸(門)を冠木門として再現したと言われます。
ここ岡崎は家康の生誕地であり、先祖の松平家の本拠地でもありました。
岡崎に入部した田中吉政が東海道を城下に引き入れました。
城の防衛上、27曲りと呼ばれるように多くの曲折をなした街道を作りました。
現在では戦災や戦後復興の道路拡張のため宿場町としての面影はほとんど残っていません。
旧東海道に建立されていた城下27曲りの石碑を参考に旧街道筋をたどることができます。
このような道は掛川にもありました。
地図ではこうなっています。
道路の角には案内が立っています。
街は普通の都市の町並みです。
この日は赤坂から歩いてきました。
また、この日は家に帰る予定でした。
腹ごしらえも必要です。
良いにおいがしてきました。
この店に吸い込まれました。
(Google ストリートビュウ)
関東風の焼き方ではなく、皮がパリッと焼いてあり、美味しいウナギでした。
(残念ながら写真はありません)
東海道をもう少し歩きます。
岡崎城が見えてきました。
若き徳川家康が暮らした岡崎城の城下町として、府中宿の次に大きな宿場町でした。
絵には東海道一長い橋・矢矧橋が精密に描かれています。
駅の方に向かいますが、八丁味噌のショールームがありました。
家へ持って帰るには少し重いですが小さなパックを買いました。
駅まで歩いて名鉄電車に乗ります。
この日はここから大船まで帰ります。
名鉄岡崎公園発 14:43
豊橋(JR)発15:28発
浜松発16:01発
熱海発18:59発
国府津発19:33発
大船着20:03着
総時間(休憩含む) 7時間30分
歩行時間 5時間53分
歩行距離(概算) 20.7Km
この区間の歩数 31,810歩
この日の総歩数 36,324歩
2010年8月5日の東海道歩きの記録でした。
本日もご訪問ありがとうございました。
++++++++++++++++++++++++
コロナワクチンの接種は進んでいるかに報道されてはいます。
実際のスケジュールは聞くたびに 遅れて、9月とか何とか言っています。
予防するしかありません。
2010年8月5日の東海道歩きの記録でした。
本日もご訪問ありがとうございました。
++++++++++++++++++++++++
コロナワクチンの接種は進んでいるかに報道されてはいます。
実際のスケジュールは聞くたびに 遅れて、9月とか何とか言っています。
予防するしかありません。
東海道 歩き旅 16の3 4月16日(金) [東海道歩き(昔の記録)]
前回の記事で今週は病院に2回行行かねばならないと記載しました。
私の勘違いで、1回でした。
一昨日は雨降り、強い雨になるという予報でした。
最近は朝一番に行くことが多く、タクシーに乗ることが多いです。
幸い、数分で来てくれるので、助かります。
それにしても、かなり強い雨でした。
港南台から帰る時もちょうど止んでいる時でしたので、濡れずに帰ることが出来ました。
++++++++++++++++++++
東海道歩きの続きです。
8月4日は、赤坂宿まで歩いて、豊橋まで戻り、ホテルに宿泊しました。
翌朝、名鉄電車に乗り込みます。
朝早かったので、直通電車はありません。
「国府」(こう)で乗り換えです。
SGは国内をほったらかしてアメリカへ飛んでいきました。
また、子ども庁創設に向けて、2F爺さんを指名したとか・・
80過ぎた爺さんに何が出来るのでしょう??
この人(SG)はどんな頭をしているんでしょう。????
昨日はよい天気でしたが、今日からまた崩れるそうです。
私には関係ありませんが、今週末も悪天候です。
私の勘違いで、1回でした。
一昨日は雨降り、強い雨になるという予報でした。
最近は朝一番に行くことが多く、タクシーに乗ることが多いです。
幸い、数分で来てくれるので、助かります。
それにしても、かなり強い雨でした。
港南台から帰る時もちょうど止んでいる時でしたので、濡れずに帰ることが出来ました。
++++++++++++++++++++
東海道歩きの続きです。
2009年~2012年の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。
8月4日は、赤坂宿まで歩いて、豊橋まで戻り、ホテルに宿泊しました。
翌朝、名鉄電車に乗り込みます。
朝早かったので、直通電車はありません。
「国府」(こう)で乗り換えです。
この辺りの電車事情はよく分かりません。
まだ静かな駅です。
一宮行きの電車にのります。
6時過ぎに赤坂駅に着きました。
歩き出すとすぐにこんな交差点がありました。
小さな公園がありました。
赤坂宿のお祭りの看板です。
東海道の通りには昔ながらの家が並んでいます。
昔ながらの商売でしょう。
大橋屋、1692年創業の旅籠で、広重の絵のモデルともいわれています。
広重の絵です。
東海道で21世紀まで営業を続けた唯一の旅籠がある宿場です。
現在でも当時の様子が色濃く残っています。
「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」
という言葉があるほど活気ある宿場でした。
私はこの時も営業しているとは思っていませんでした。
後から考えれば泊まればよかった。
こんな看板があります。
先へ進みます。
この日も良い天気でした。
こんな名前のバス停がありました。
都市部では考えられません。
長沢城跡の案内、この辺りは小さなお城が各所にあったのでしょう。
進んでいくと、常夜灯が立っています。
普通の街道歩きになります。
長沢の家並、こういう道は旧街道らしい通りです。
観音堂でしょうか?
名鉄の線路に沿った道になります。
岡崎市に入ります。
岡崎市本宿(もとじゅく)に着きました。
今は特に街並みがあるわけではありません。
藤川宿の入り口です。
古い町並みを進みます。
藤川宿の浮世絵(広重)です。
幕府から朝廷へ馬を献上する行列の様子です。旅人たちがこの行列に土下座をしています。
道は少しそれますが、地図があるので間違えることはありません。
岡崎に向かって進みます。
続きは次回に。
本日もご訪問ありがとうございました。
+++++++++++++++++++++++
昨日は良い天気でしたがまだ少し寒い風が吹いていました。
今は新緑の世界です。
フリージアもまだ咲いています。
コロナは治まるどころか、どん
どん酷くなっています。まだ静かな駅です。
一宮行きの電車にのります。
6時過ぎに赤坂駅に着きました。
歩き出すとすぐにこんな交差点がありました。
小さな公園がありました。
赤坂宿のお祭りの看板です。
東海道の通りには昔ながらの家が並んでいます。
昔ながらの商売でしょう。
大橋屋、1692年創業の旅籠で、広重の絵のモデルともいわれています。
広重の絵です。
東海道で21世紀まで営業を続けた唯一の旅籠がある宿場です。
現在でも当時の様子が色濃く残っています。
「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」
という言葉があるほど活気ある宿場でした。
私はこの時も営業しているとは思っていませんでした。
後から考えれば泊まればよかった。
こんな看板があります。
先へ進みます。
この日も良い天気でした。
こんな名前のバス停がありました。
都市部では考えられません。
長沢城跡の案内、この辺りは小さなお城が各所にあったのでしょう。
進んでいくと、常夜灯が立っています。
普通の街道歩きになります。
長沢の家並、こういう道は旧街道らしい通りです。
観音堂でしょうか?
名鉄の線路に沿った道になります。
岡崎市に入ります。
岡崎市本宿(もとじゅく)に着きました。
今は特に街並みがあるわけではありません。
藤川宿の入り口です。
古い町並みを進みます。
藤川宿の浮世絵(広重)です。
幕府から朝廷へ馬を献上する行列の様子です。旅人たちがこの行列に土下座をしています。
道は少しそれますが、地図があるので間違えることはありません。
岡崎に向かって進みます。
続きは次回に。
本日もご訪問ありがとうございました。
+++++++++++++++++++++++
昨日は良い天気でしたがまだ少し寒い風が吹いていました。
今は新緑の世界です。
フリージアもまだ咲いています。
コロナは治まるどころか、どん
SGは国内をほったらかしてアメリカへ飛んでいきました。
また、子ども庁創設に向けて、2F爺さんを指名したとか・・
80過ぎた爺さんに何が出来るのでしょう??
この人(SG)はどんな頭をしているんでしょう。????
昨日はよい天気でしたが、今日からまた崩れるそうです。
私には関係ありませんが、今週末も悪天候です。
東海道歩き旅 16の2 4月11日(日) [東海道歩き(昔の記録)]
この数日寒い日が続いています。
桜が咲いている時は、ぽかぽか陽気で公園のベンチでゆっくり花見が出来ました。
桜が散ったとたん、寒くなり、家に閉じこもる日が続きました。
明日からは暖かさが戻るようです。
++++++++++++++++++++++++
東海道歩きの続きです。
桜が咲いている時は、ぽかぽか陽気で公園のベンチでゆっくり花見が出来ました。
桜が散ったとたん、寒くなり、家に閉じこもる日が続きました。
明日からは暖かさが戻るようです。
++++++++++++++++++++++++
東海道歩きの続きです。
2009年~2012年の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います
吉田宿を後に、豊川の橋を渡ります。
橋を渡ると普通の道になりました。
下地の古い町並みを通ります。
この日も暑い日でした。
突然、魚市場の前に出ました。
魚市場の横を通って、豊川市に入りました。
たまたま通った道沿いにスーパーがありました。
カットフルーツを買って、休憩です。
一息ついて進みます。
伊奈立場茶屋跡の石碑です。
太鼓屋さんがありました。
伊奈の一里塚跡の石碑です。
本越坂の追分に立っている常夜灯。
本越坂とは、「姫街道」と呼ばれる浜松へつながる道。
御油の一里塚跡。
江戸日本橋より76里。
こんな所です。
古い町並みのタバコ屋さん。
看板娘はいません(笑)
御油(ごゆ)に近づくにつれて、川沿いに歩きます。
ここでも手筒花火をやるんでしょうか?
(昨年からは中止らしいです)
さすが、旧街道、こんな細い道もあります。
大きな倉庫がありました。
イチビキ醤油の醤油蔵です。
名古屋で醬油と言えばイチビキは有名ですね。
いよいよ、「御油の松並木」に入ります。
ここは、宿場でした。
夕暮れ時、旅籠の女が旅人を無理矢理引きずり込もうとしている一枚です。
観光地になっていて、丁寧な案内もあります。
松並木の中は車が通りますが、車に気を付ける必要があります。
御油宿と赤坂宿は1km程しか離れていません。
赤坂宿のはずれに近づきました。
これは民宿でしょうか??
赤坂宿の地図が掲示してあります。
赤坂駅の近くの案内板。
歩いて5分程で名鉄の駅に着きました。
この後、豊橋に戻り、一泊して次に続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
今週は病院通いが、二か所あります。
更新は不定期になります。ご了承ください。
吉田宿を後に、豊川の橋を渡ります。
橋を渡ると普通の道になりました。
下地の古い町並みを通ります。
この日も暑い日でした。
突然、魚市場の前に出ました。
魚市場の横を通って、豊川市に入りました。
たまたま通った道沿いにスーパーがありました。
カットフルーツを買って、休憩です。
一息ついて進みます。
伊奈立場茶屋跡の石碑です。
太鼓屋さんがありました。
伊奈の一里塚跡の石碑です。
本越坂の追分に立っている常夜灯。
本越坂とは、「姫街道」と呼ばれる浜松へつながる道。
御油の一里塚跡。
江戸日本橋より76里。
こんな所です。
古い町並みのタバコ屋さん。
看板娘はいません(笑)
御油(ごゆ)に近づくにつれて、川沿いに歩きます。
ここでも手筒花火をやるんでしょうか?
(昨年からは中止らしいです)
さすが、旧街道、こんな細い道もあります。
大きな倉庫がありました。
イチビキ醤油の醤油蔵です。
名古屋で醬油と言えばイチビキは有名ですね。
いよいよ、「御油の松並木」に入ります。
ここは、宿場でした。
夕暮れ時、旅籠の女が旅人を無理矢理引きずり込もうとしている一枚です。
観光地になっていて、丁寧な案内もあります。
松並木の中は車が通りますが、車に気を付ける必要があります。
御油宿と赤坂宿は1km程しか離れていません。
赤坂宿のはずれに近づきました。
これは民宿でしょうか??
赤坂宿の地図が掲示してあります。
赤坂駅の近くの案内板。
歩いて5分程で名鉄の駅に着きました。
この後、豊橋に戻り、一泊して次に続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
今週は病院通いが、二か所あります。
更新は不定期になります。ご了承ください。
東海道歩き旅 16の 1 4月9日(金) [東海道歩き(昔の記録)]
2009年~2012年の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。
この前の二川宿まで歩いたのは、2010年1月20日でした。
それから約半年、いろんな事があり、しばらく出かけませんでした。
2010年5月に、初孫が生まれました。
この子も、今年から5年生です。
2010年8月に出かけました。
大船発、5:44、各駅停車を乗り継いで二川駅に到着しました。
二川駅を10時過ぎに出発しました。
ここから三河国、そして現在の愛知県に入ります。
この前の二川宿まで歩いたのは、2010年1月20日でした。
それから約半年、いろんな事があり、しばらく出かけませんでした。
2010年5月に、初孫が生まれました。
この子も、今年から5年生です。
2010年8月に出かけました。
大船発、5:44、各駅停車を乗り継いで二川駅に到着しました。
二川駅を10時過ぎに出発しました。
ここから三河国、そして現在の愛知県に入ります。
夕暮れ時に旅の三人が重い足で宿へ向かう様子が描かれています。
この日は真夏日、暑い道を豊橋に向かって進みます。
空の青さが違います。
コンビニも見つかりません。
旧東海道のクロマツ跡の石碑が立っています。
市街地に入ってきました。
大きなお寺がありました。
立派なお寺です。
寿泉寺というそうです。
佇まいも含めて、京都のような感じです。
花壇の中に大きな常夜灯が立っています。
なんと! 路面電車が走っています。
停留所(?)の近くに、門がありました。
宿場の惣門です。
広重の絵です。
右に見えるのは吉田城、修復中を絵に表しています。
中央には豊川、左には豊橋が描かれています。
市街地に入って行きますが、昼食を食べなければなりません。
蕎麦屋が見えていますが、中華料理の店でお昼にしました。
この日は赤坂宿までの予定です。
頑張って歩きましょう。
やっと、豊橋を離れます。
++++++++++++++++++++++
最近、水泳の世界選手権のテレビ中継を放送しています。
池江選手がオリンピックに内定したとか・・
あれだけの病気の中で、あの体力の維持。
同じ病気ではありませんが、並大抵な努力では達成できないでしょう。
私も似たような薬の治療をしています。
頭が下がる思いです。
とはいえ、昨今のコロナの状態でオリンピックを開催することに関しては???
私も少しは足を鍛えないといけないとなんとか毎日スクワットをしています。
このところバタバタしていて、皆さんへの訪問が遅れています。
ご容赦願います。
本日もご訪問ありがとうございました。
今春見た花たち 4月6日(火) [日常生活]
4月も約1週間経ちました。
昨日は急遽お休みにしました。
申し訳ございません。
昨日は、氷雨が降る一日でした。
朝からほぼ一日中降っていました。
今年の桜の開花は、3月23日頃でした。
早速、桜を見に出かけました。
近くの公園に行ってみました。
まだ春休みの頃でしたので子供を連れた人も多く見られました。
公園と言っても小さなグランドがあり、ゲートボールを楽しんでいる人もいます。
グランドにシートを敷いている人もいます。
これだけ空いていれば、三蜜ではないですね。
今年は寒かったり、雨が降ったり・・あまり気持ちの良い春ではありませんでした。
桜のひこばえも写真写りがいいです。
でも桜の花は、すでにほとんど散ってしまいました。
満開の桜の向こうにはすでに緑の新芽が出ています。
学校の正門の前も桜も綺麗でしたが、もう葉桜に変わりました。
遠くの山桜の色もなくなりました。
今年の桜もお終いですね。
でも、昨年秋に植えたフリージアの花は楽しませてくれました。
このような芽から変化がありませんでした。
何とか蕾が開きました。
フリージアは咲きましたがチューリップは勢いがありません。
フリージアは今年初めて植えましたが、成功です。
ソメイヨシノの花が終わると、八重桜が咲き始めます。
綺麗なピンク色ですね。
八重桜は桜茶として小田原で沢山作られるそうです。
数日前から、フリージの花が、急に咲き出しました。
風が強い日は倒れるので、切り花にして花瓶に生けています。
家の中は、甘い香りが漂っています。
我が家の前のケヤキの木はあっという間に、芽吹きが始まりました。
年末に植えた葉ボタンはこんな姿になっています。
本日もご訪問ありがとうございました。
昨日は急遽お休みにしました。
申し訳ございません。
昨日は、氷雨が降る一日でした。
朝からほぼ一日中降っていました。
今年の桜の開花は、3月23日頃でした。
早速、桜を見に出かけました。
近くの公園に行ってみました。
まだ春休みの頃でしたので子供を連れた人も多く見られました。
公園と言っても小さなグランドがあり、ゲートボールを楽しんでいる人もいます。
グランドにシートを敷いている人もいます。
これだけ空いていれば、三蜜ではないですね。
今年は寒かったり、雨が降ったり・・あまり気持ちの良い春ではありませんでした。
桜のひこばえも写真写りがいいです。
でも桜の花は、すでにほとんど散ってしまいました。
満開の桜の向こうにはすでに緑の新芽が出ています。
学校の正門の前も桜も綺麗でしたが、もう葉桜に変わりました。
遠くの山桜の色もなくなりました。
今年の桜もお終いですね。
でも、昨年秋に植えたフリージアの花は楽しませてくれました。
このような芽から変化がありませんでした。
何とか蕾が開きました。
フリージアは咲きましたがチューリップは勢いがありません。
フリージアは今年初めて植えましたが、成功です。
ソメイヨシノの花が終わると、八重桜が咲き始めます。
綺麗なピンク色ですね。
八重桜は桜茶として小田原で沢山作られるそうです。
数日前から、フリージの花が、急に咲き出しました。
風が強い日は倒れるので、切り花にして花瓶に生けています。
家の中は、甘い香りが漂っています。
我が家の前のケヤキの木はあっという間に、芽吹きが始まりました。
年末に植えた葉ボタンはこんな姿になっています。
本日もご訪問ありがとうございました。
本日は休みます 4月5日)(月) [独り言]
昨日は夕方から雨になりました。
所用のため、本日(5日)はお休みとさせていただきます。
明日(6日)は更新予定です。
所用のため、本日(5日)はお休みとさせていただきます。
明日(6日)は更新予定です。
2021-04-05 05:13
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東海道 歩き旅15の3 4月3日(土) [東海道歩き(昔の記録)]
桜まだ咲いていますが、かなり散ってしまいました。
10年前の東海道歩き旅を続けます。
10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
新居宿辺りでは、食べるところが見つからず、11時半頃たまたま見つけたすし屋で食事。
スーパーの寿司のようなもので、あまり???
とりあえず腹を満たして、次の宿場町に向けて出発しました。
しばらく畑の道を歩きます。
やがて、海が見える道になりました。
白須賀宿は、昔、津波の被害があり、それ以後、丘の上に宿替えをしたと言われています。
昔の宿場があった辺り??
案内図がありました。
広重の浮世絵です。
遠江国最西端の宿場で、現在の静岡県最西端の宿場でもあります。
大名行列を横から見た、左右対称の面白い構図になっています。
宿場が移動した後は、右奥の丘に変わったと思われます。
道は上り坂に変わります。
静かな道になって行きます。
小さな集落があり、家の中から呼び止められました。
当時、94歳のおばあさんでした。
こんな草履をいただきました。
ありがたく頂戴して先に進みます。
道中、リュックに付けていました。
進んでいくと、「おんやど白須賀」という休憩所がありました。
いくつかの展示物もあります。
高台に移転したのでこんな景色だったのでしょう。
広重の絵も展示してあります。
そして、「あれ?」
草履をいただいたお婆さんの記事!!!
白須賀宿は綺麗な宿場町に整備されています。
宿場町の古い町並みから普通の道路に変わります。
とうとう愛知県に入りました。
愛知県側から見た道路です。
中央の赤信号の辺りが県境です。
ここから約4km、国道歩きが続きます。
こういう時に限って、反対側にコンビニがありますが怖くて渡れません。
ちょっとスピードを上げて、二川駅を目指します。
小さな川を渡ります。
正面の大きな岩山は東海道新幹線に乗っているとよく見える山です。
やがて、二川宿に差し掛かりました。
旧旅籠、東駒屋
各家の玄関には二川の暖簾と花が活けてあります。
旅籠に着いた客はこのようにして迎えられたのでしょう。
二川宿本陣資料館です。
広重の「絵」ここから三河国、そして現在の愛知県に入ります。
夕暮れ時に旅の三人が重い足で宿へ向かう様子が描かれています。
もう一度訪ねたいと思いましたが、別の機会にすることにしました。
(達成できていません)
この日は家まで帰るので急いで駅に向かいました。
10年前の東海道歩き旅を続けます。
10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。
この日は、高塚駅から歩いてきました。
新居宿辺りでは、食べるところが見つからず、11時半頃たまたま見つけたすし屋で食事。
スーパーの寿司のようなもので、あまり???
とりあえず腹を満たして、次の宿場町に向けて出発しました。
しばらく畑の道を歩きます。
やがて、海が見える道になりました。
白須賀宿は、昔、津波の被害があり、それ以後、丘の上に宿替えをしたと言われています。
昔の宿場があった辺り??
案内図がありました。
広重の浮世絵です。
遠江国最西端の宿場で、現在の静岡県最西端の宿場でもあります。
大名行列を横から見た、左右対称の面白い構図になっています。
宿場が移動した後は、右奥の丘に変わったと思われます。
道は上り坂に変わります。
静かな道になって行きます。
小さな集落があり、家の中から呼び止められました。
当時、94歳のおばあさんでした。
こんな草履をいただきました。
ありがたく頂戴して先に進みます。
道中、リュックに付けていました。
進んでいくと、「おんやど白須賀」という休憩所がありました。
いくつかの展示物もあります。
高台に移転したのでこんな景色だったのでしょう。
広重の絵も展示してあります。
そして、「あれ?」
草履をいただいたお婆さんの記事!!!
白須賀宿は綺麗な宿場町に整備されています。
宿場町の古い町並みから普通の道路に変わります。
とうとう愛知県に入りました。
愛知県側から見た道路です。
中央の赤信号の辺りが県境です。
ここから約4km、国道歩きが続きます。
こういう時に限って、反対側にコンビニがありますが怖くて渡れません。
ちょっとスピードを上げて、二川駅を目指します。
小さな川を渡ります。
正面の大きな岩山は東海道新幹線に乗っているとよく見える山です。
やがて、二川宿に差し掛かりました。
旧旅籠、東駒屋
各家の玄関には二川の暖簾と花が活けてあります。
旅籠に着いた客はこのようにして迎えられたのでしょう。
二川宿本陣資料館です。
広重の「絵」ここから三河国、そして現在の愛知県に入ります。
夕暮れ時に旅の三人が重い足で宿へ向かう様子が描かれています。
もう一度訪ねたいと思いましたが、別の機会にすることにしました。
(達成できていません)
この日は家まで帰るので急いで駅に向かいました。
15:59二川駅発
掛川行き16:26浜松着
掛川行き16:26浜松着
16:37浜松発
19:02熱海着
19:10熱海発(東京行き)
20:17大船着
この日の 記録
総時間 7時間52分
歩行時間 6時間36分
歩行距離 25.4km
歩数 約41,877歩
今回は、袋井から、二川まで2泊3日で歩きました。
1月20日現在ここまで来ました。
江戸から約300km
+++++++++++++++++++++
+++++++++++++++++++++
桜はかなり散ってしまいました。
ドウダンの可愛い花が咲きだしました。
ツツジもかなり咲き出しています。
白須賀で頂いた、草履はその後の中山道、日光道中、甲州道中でも常に付けていました。
今でも家にあります。
本日もご訪問ありがとうございました。
歩行時間 6時間36分
歩行距離 25.4km
歩数 約41,877歩
今回は、袋井から、二川まで2泊3日で歩きました。
1月20日現在ここまで来ました。
江戸から約300km
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桜はかなり散ってしまいました。
ドウダンの可愛い花が咲きだしました。
ツツジもかなり咲き出しています。
白須賀で頂いた、草履はその後の中山道、日光道中、甲州道中でも常に付けていました。
今でも家にあります。
本日もご訪問ありがとうございました。
東海道歩き旅 15の2 3月30日(火) [東海道歩き(昔の記録)]
3月も明日までになりました。
28日、29日に降った雨で桜も散るかと思いましたが、幸いまだ十分残っています。
数日は桜が楽しめそうです。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
昨日の朝は綺麗に晴れ渡りました。
フリージアもどんどん咲きだしました。
本日もご訪問ありがとうございました。
10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。
2010年1月20日の朝、JR高塚駅を出発して舞坂宿まで来ました。
舞坂宿脇本陣を出発して、次の新居へ向けて出発しました。
出発するとすぐに海に出ます。
(海と言っても浜名湖の一部ですが・・)
遠くに浜名バイパスが見えます。
こちらは舞坂漁港。
江戸時代には、舞坂から新居までは渡し舟でした。
こちらは雁木跡(渡船場)です。
この赤い鳥居はおなじみでしょう。
東海道新幹線によく乗る人はおなじみの景色です。
(昔、関西にいる時、何回となく見た景色です)
2~3分毎に通過します。
道路は弁天島の中を進みます。
付近の看板がありました。
今見直してみると、南が上になっています。
非常にわかりにくい看板でした。
JR新居駅前を通過します。
歩道にはこんなタイルが埋めてあります。
しばらくこんなところを進みます。
昨日、GoogleEarthで見たところ、現在とはまるっきり違いました。
この橋は今でもあります。
浜名橋には片側だけですが、何枚かの陶板が並んでいます。
全部で5枚ぐらいでしょうか。
この写真は後ろを見たところです。
これは新聞販売店、昔風に改装してあります。
やがて新居関所の建物が見えてきました。
大きな建物です。
改装工事中でした。
今はかなり変わっているでしょう。
広重の「絵」です。
関所の向かいに旅籠跡の建物がありました。
2010年1月20日の朝、JR高塚駅を出発して舞坂宿まで来ました。
舞坂宿脇本陣を出発して、次の新居へ向けて出発しました。
出発するとすぐに海に出ます。
(海と言っても浜名湖の一部ですが・・)
遠くに浜名バイパスが見えます。
こちらは舞坂漁港。
江戸時代には、舞坂から新居までは渡し舟でした。
こちらは雁木跡(渡船場)です。
この赤い鳥居はおなじみでしょう。
東海道新幹線によく乗る人はおなじみの景色です。
(昔、関西にいる時、何回となく見た景色です)
2~3分毎に通過します。
道路は弁天島の中を進みます。
付近の看板がありました。
今見直してみると、南が上になっています。
非常にわかりにくい看板でした。
JR新居駅前を通過します。
歩道にはこんなタイルが埋めてあります。
しばらくこんなところを進みます。
昨日、GoogleEarthで見たところ、現在とはまるっきり違いました。
この橋は今でもあります。
浜名橋には片側だけですが、何枚かの陶板が並んでいます。
全部で5枚ぐらいでしょうか。
この写真は後ろを見たところです。
これは新聞販売店、昔風に改装してあります。
やがて新居関所の建物が見えてきました。
大きな建物です。
改装工事中でした。
今はかなり変わっているでしょう。
広重の「絵」です。
浜名湖の西岸の宿場です。画面中央の舟を先頭に、参勤交代の大名が水面を行く様子が描かれています。
関所の向かいに旅籠跡の建物がありました。
2010年1月20日の東海道歩きの記録でした。
この日はまだまだ続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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昨日の朝は綺麗に晴れ渡りました。
フリージアもどんどん咲きだしました。
本日もご訪問ありがとうございました。
東海道歩き旅 15の1 3月28日 [東海道歩き(昔の記録)]
昨日は急遽休みました。
最近は昔みたいな頻度で更新できなくなりました。
今は3日に一度の更新をしています。
東海道歩の14日目は、高塚(浜松の一つ先)まで歩き、一駅戻り、浜松で泊まりました。
最近は昔みたいな頻度で更新できなくなりました。
今は3日に一度の更新をしています。
東海道歩の14日目は、高塚(浜松の一つ先)まで歩き、一駅戻り、浜松で泊まりました。
10年前の東海道歩き旅の記録を続けます。
10年前はこのブログはまだ始めていませんでした。
東海道歩きの記事は始めて公開します。
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。
この日の予定は、長かった静岡県を通過して、いよいよ愛知県に入ります。
帰りの電車の都合上、この日の最終はJR二川駅にしました。
4つの宿場町を通過します。
(約25kmほどあります)
朝、7時過ぎにホテルを出発、7:45高塚に到着しました。
8時頃、昨日の終了地点を出発しました。
メインの通りではなく、静かな道です。
前日、ここで飲んでいたわけではありません。
ほとんどの車は左に分かれ、さらに静かな道になりました。
今まで見たような、屋根付きの秋葉常夜灯があります。
ここから公園のような道になります。
松並木の道が始まります
道路沿いの、左側には、東海道五十三次のモニュメントがあります。
これは日本橋かな?
こんな松並木が続きます。
あたしが歩いたのは、右側で、干支のモニュメントがあります。
これは、最初の「子の刻のモニュメント」です。
それぞれに、干支の動物を象ったモニュメントがありました。
「 牛 」
「 寅 」
それぞれに、時刻の表示をした、モニュメントが立っています。
こちらは「 竜 」
散歩をする人も少ないのか、静かな道です。
松並木も中盤になりました。
「 巳 」
掲載している写真は当時のものです。
記憶が曖昧な部分もありますので、ご了承願います。
この日の予定は、長かった静岡県を通過して、いよいよ愛知県に入ります。
帰りの電車の都合上、この日の最終はJR二川駅にしました。
4つの宿場町を通過します。
(約25kmほどあります)
朝、7時過ぎにホテルを出発、7:45高塚に到着しました。
8時頃、昨日の終了地点を出発しました。
メインの通りではなく、静かな道です。
前日、ここで飲んでいたわけではありません。
ほとんどの車は左に分かれ、さらに静かな道になりました。
今まで見たような、屋根付きの秋葉常夜灯があります。
ここから公園のような道になります。
松並木の道が始まります
道路沿いの、左側には、東海道五十三次のモニュメントがあります。
これは日本橋かな?
こんな松並木が続きます。
あたしが歩いたのは、右側で、干支のモニュメントがあります。
これは、最初の「子の刻のモニュメント」です。
それぞれに、干支の動物を象ったモニュメントがありました。
「 牛 」
「 寅 」
それぞれに、時刻の表示をした、モニュメントが立っています。
こちらは「 竜 」
散歩をする人も少ないのか、静かな道です。
松並木も中盤になりました。
「 巳 」
「 午 」
舞阪宿のモニュメントがあります。
広重の「絵」です。
右奥に小さく富士山が見えます。
前半の絵と比べると富士の大きさがとても小さくなってきました。
水の深い藍色はヒロシゲ・ブルーと言われる美しい色遣いです。
いよいよ舞坂宿に入ります。
まだ干支の、モニュメントがありました。
「 酉 」
「 戌 」
こんな石像がありました。
浪小僧というそうです。
こんな物を見ながら歩くと飽きません。
最後に「 亥 」
これで最後です。
松並木の最後に「新町常夜灯」がありました。
舞坂宿の一里塚跡を通過します。
ここから普通の道になりました。
舞坂宿は本陣二軒、脇本陣一軒、旅籠二十八軒の宿場町でした。
脇本陣が改装されて残っています。
中に入れましたので、見学させていただきました。
上段の間、今のように暇をつぶすこともないので何をしていたんでしょう。
立派な部屋でした。
当時使った駕篭が展示してありました。
まだ10時過ぎ、頑張って次に進みましょう。
新居宿に向かいます。
こんな姿で歩きました。
2010年1月20日の東海道歩きの記録でした。
この日はまだまだ続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
今日は天気が悪いようです。
山の桜も散ってしまうでしょうか。
昨日も空が白くて綺麗な写真になりませんでした。
舞阪宿のモニュメントがあります。
広重の「絵」です。
右奥に小さく富士山が見えます。
前半の絵と比べると富士の大きさがとても小さくなってきました。
水の深い藍色はヒロシゲ・ブルーと言われる美しい色遣いです。
いよいよ舞坂宿に入ります。
まだ干支の、モニュメントがありました。
「 酉 」
「 戌 」
こんな石像がありました。
浪小僧というそうです。
こんな物を見ながら歩くと飽きません。
最後に「 亥 」
これで最後です。
松並木の最後に「新町常夜灯」がありました。
舞坂宿の一里塚跡を通過します。
ここから普通の道になりました。
舞坂宿は本陣二軒、脇本陣一軒、旅籠二十八軒の宿場町でした。
脇本陣が改装されて残っています。
中に入れましたので、見学させていただきました。
上段の間、今のように暇をつぶすこともないので何をしていたんでしょう。
立派な部屋でした。
当時使った駕篭が展示してありました。
まだ10時過ぎ、頑張って次に進みましょう。
新居宿に向かいます。
こんな姿で歩きました。
2010年1月20日の東海道歩きの記録でした。
この日はまだまだ続きます。
本日もご訪問ありがとうございました。
今日は天気が悪いようです。
山の桜も散ってしまうでしょうか。
昨日も空が白くて綺麗な写真になりませんでした。
お知らせ 3月27日(土) [独り言]
昨日、近所の散歩を軽くしただけですが、少し疲れました。
桜は満開です。
せっかく満開の桜も明日は荒天だとか・・
記事更新は明日にさせていただきます。
よろしくお願いします。
桜は満開です。
せっかく満開の桜も明日は荒天だとか・・
記事更新は明日にさせていただきます。
よろしくお願いします。
2021-03-27 05:21
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